スクリーンのなかの医事法
第9幕「エレファント・マン」(原題 The Elephant Man)
1980年アメリカ/イギリス,監督デヴィッド・リンチ
前田 和彦(九州保健福祉大学)

作品名:
エレファント・マン<ニューマスター版>
発売元: サジフィルムズ
税込価格 \3,990
 第9幕は『エレファント・マン』である.『イレイザーヘッド』(1976年)でデビューした鬼才デヴィッド・リンチ監督の衝撃作として,世界にその名を轟かした作品である.わが国の公開当時(1981年)ホラーとも怪奇映画とも呼ばれた本作だが,ヒューマンドラマとしても大きな感動を与えた名作でもある.
 19世紀末のロンドンを舞台にその奇怪な容姿から「エレファント・マン」と呼ばれたジョン・メリック(ジョン・ハート)は,見世物とされながら生きていた.ある日,その見世物小屋を訪れた外科医フレデリック・トリーブス(アンソニー・ホプキンス)の目にとまり,研究のため彼の病院へと引き取られたが,その変形した奇怪な容姿と様子から知能はほとんどないと思われていた.しかしある夜,自分が教えていない聖書の内容を唱えるメリックの姿を見て,その容姿のまま知能を持って生きてきたことを知る.想像を絶するような過酷な人生でも誠実に生きてきたことを思い,彼は心から嗚咽し,自らの偽善を恥じるのだった.それからトリーブスは,メリックを一人の人間として人々に紹介するようになったのである.また,メリックは誰にもまねができないほど精巧な模型をつくり,その繊細さと高い知能で周囲をおどろかせた.しかし,人々が善意の同情を見せるたび,本作には「悪意のない残酷さ,好奇心という非情」というものが浮き彫りとなっていく.異形の者を本心としては受け入れない社会のあり方を観る者の心に重く訴えてくるのだ.人々の好奇と同情の目にさらされていたメリックは,疲れていても,その変形した体ゆえ横になって寝ることは死を意味するのであった.しかし,ずっと普通の人と同じように寝ることにあこがれていたメリックは,最後の模型をつくり終えた夜,積んでいた枕をはずし永遠の眠りについていった.
 さて,本作には近年『羊たちの沈黙』(1990年)からのハンニバル・レクター博士3部作で注目されたアンソニー・ホプキンスがトリーブス医師役で出演しているが,レクター博士役とは正反対の善意の常識人を演じている.またリンチ監督が,その後『ツイン・ピークス』(1990年)のTVを撮り,『ストレイト・ストーリー』(1999年)というヒューマンドラマを撮ったことを考えれば,彼の異形に対する憧憬ともとれる怪奇趣味も「普通さ」のなかに隠れる真実の残酷さを見せたままのヒューマニズムも,すでに本作のときから垣間見えていたのである.
 そして本作は1980年のアメリカ,イギリス双方のアカデミー賞作品賞,主演男優賞,監督賞,脚本賞,第9回アボリアッツ・ファンタスティック映画祭グランプリを受賞するなど高い評価を得ている.

■今の日本の法制度なら
 もちろんメリックは「身体障害者福祉法」の身体障害者の範囲に含まれる.肢体不自由であり心肺機能や呼吸機能にも障害があろうと思えるからだ.同法ではそのような障害により,長期にわたって日常生活または社会生活に相当の制限を受ける者に対し身体障害者手帳を交付し,その援助や必要な保護を行うこととなる.平成13年の厚生労働省が行った18歳以上の在宅身障者の実態調査では,推計として324.5万人となっており,肢体不自由者が圧倒的に多い.しかし,メリックほどの奇形を伴った身障者はあまり例がないものと思う.そして彼の心を救うには,異形の者に対する差別や偏見など,社会のあり方自体を変えなければならない.法制度がすべてではないのだ.倫理観の向上こそ社会の礎である.今の日本にメリックは生きられるのだろうか…….

■筆者の独り言
 本作は公開当時にはホラーとも怪奇映画とも呼ばれ,筆者もどんな奇形か見てみたいという好奇心で映画館に行ったのは事実である(予告編ではメリックは頭から袋をかぶり顔が見えないシーンであった).しかし,上映後は筆者だけではなく,多くの観客が打ちのめされ,自分の道徳観を問い直したい衝動に駆られた.確かに感動したが,何か後ろめたい感情が消せないのである.ラストシーンでメリックが“I am not an animal. I am a human being !”(僕は動物じゃない.僕は人間だ!) と叫ぶシーンでは,場内のあちらこちらで啜り泣きが聞こえたのを記憶している.それは感動でもあり,自戒の念でもあったのだろう.
 本作は実在した主人公を描き,原作となっている著作も実在したメリックの主治医フレデリック・トリーブスのものである.上映当時,「普通の人」とはいかに残酷な善意を持っているのかと突き付けられ,心が重くなった人は多かった.しかし,過酷な人生を誠実に生きたメリックの存在も真実だと考えれば,今の世界でも美しく誠実な心を持ち続けられることを信じられるはずだ.世界が変わるのではなくわれわれ「普通の人」が変わるべきなのである.
(医療科学通信2005年1号)
 

 
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