
作品名:
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シティ・オブ・エンジェル |
発売元: |
ワーナー・ホーム・ビデオ |
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第7幕は『シティ・オブ・エンジェル』である。ヴィム・ヴェンダース監督の名作『ベルリン・天使の詩』(1987年)のハリウッド版リメイクであり,舞台はベルリンからロサンジェルスに移っている。ハリウッド版らしくヴェンダース作品に較べてわかりやすく,人気絶頂のニコラス・ケイジとメグ・ライアンの競演によるラブ・ストーリーとしても楽しめる。
天使のセス(ニコラス・ケイジ)は,命が尽きようとする人の前に現れ,そっと手をとり天国へ導くことを業としている。ある日セスは,病院のなかで命が尽きようとする男の前でじっと役目が来るのを待っていた。しかし,その男は人間社会の医療の場ではまだ死ぬはずのない患者だった。特に執刀したマギー(メグ・ライアン)にとってはあるはずのない患者の死であり,患者の家族への罪悪感とともにひと気のない階段で泣きじゃくるほどのショックを受けてしまう。その様子を見ていたセスは,彼女を見初めてしまうのだ。そしてついにセスは天使の掟を破りマギーの前に姿を現すことになる。
その後セスは,彼女の姿を追ってたびたび病院に現れるが,入院患者メッシンジャー(デニス・フランツ)に姿が見えるといわれる。見えないはずの天使セスが見えたメッシンジャーも元天使だったのだ。メッシンジャーの影響から,セスはマギーを本当に感じて愛するため人間になる決意をする。そして二人は結ばれるのだが……。
■今の日本の法制度なら
さて,本作品には医事法というより法制度自体が出てきたのだろうか。正直言って今回は法制度そのものはストーリーには出てこないのだ。では,なぜ……といえば,医事法学を語るのに欠かせないのが医療における倫理観である。医療従事者の倫理観といいなおしても良い。それなら本作には重要なシーンがある。サスがマギーに恋するシーンである。患者の死に打ちひしがれるマギー,泣きながら悔やむ外科医に手を差し伸べようとする天使のサス! この冒頭のシーンにすべてがある。医師は科学者であり,その技術と知識で患者を治そうとする,しかし,患者はその技術を駆使しても必ずしも医師が考えたとおりに治癒するわけではない。
ひとつ医事法的なことをいえば,医療契約において医師が負っている義務は手段債務であって結果債務ではない。つまり,現在の医療技術では治せないものもあるのだから,結果だけ(必ず治癒させる)を義務とする結果債務としたのではなく,専門職としての注意義務を持って現在の医療技術でできるかぎりの治療を行う手段債務を医療契約上の義務としているのだ。そして,その義務を一生懸命医師は尽くせばよいのである。これは他のコ・メディカル(医療従事者)も同様である。と,するならば最善を尽くしても患者にもっとできることはなかったのかと悩むマギーは医師としての義務と同時に医療倫理としても精一杯の患者への誠意を見せたのである。誠心誠意頑張った彼女の心を救うには,もう天使が手を差し伸べるしかなかったのだろう。
そしてもうワンシーン……マギーがはじめ付き合っていた医師が,一人ぼっちでバスケットボールをしているシーンがある。心配したマギーが彼に声をかけると,医師は一言「僕の患者が亡くなったんだ……」と,肩を落としている。医療従事者の倫理観とはそんなに大層なものではないと思う。患者を思いやる心と自らを省みる気持ちがあればいいのではないか。本作は,そのことを考えさせてくれるだけでも価値がある。
■筆者の独り言
本作のベースになったのは『ベルリン・天使の詩』であるが,作品の内容や雰囲気がずいぶん違うものとなっている。これはヴェンダース作品を知る人ならばハリウッドと違うのはあたりまえと思うだろう。確かに80年代,いまだ戦争の影が残るベルリンを舞台に,新たな時代の波に乗れずにいる人々の閉塞感や悲しみ,そして未来へのジレンマを描いた『ベルリン・天使の詩』は本作品とは趣が違っている。しかし,両作品とも登場人物を見つめる目がやさしかったことは共通しているのだ。「あのサーカスの団員たちも」,「患者のために悩んだマギーや医師たちも」スクリーンのなかでは温かな光に照らされていた。まるで天使が見守っているように……。
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