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■河口信仁夫妻の墓
(古河市横山町:本成寺,宇都宮線古河駅徒歩10分)
『解体新書』に先立つ2年前の1772(明和9)年,古河藩医の河口信仁(かわぐちしんにん)は,医者の立場で,自ら頭部を含む人体解剖を行った.京都,西土手仕置場において行われたこの解剖から3年後,信仁は,その解剖所見を含む成果を1冊の本にまとめ,『解屍編』(かいしへん)と名付けて刊行している.日本最初の解剖書であった.古河歴史博物館(古河市中央町)には,信仁の用いた解剖刀をはじめ貴重な資料が展示されており,『解屍編』全文と全図をはじめ,解剖刀などが掲載された図版『日本の解剖ことはじめ―古河藩医河口信仁とその系譜』も入手可能である.
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■山本鹿州の墓標
(新治郡出島村大字牛渡小字柳梅:鹿州の旧屋敷跡,霞ヶ浦の畔り・出島村)
大動脈炎症候群(高安病)は,動脈閉塞や動脈拡張による症状および炎症反応による全身症状があるが,大動脈とその主要分岐の炎症性狭窄から「脈なし病」ともいわれる.これら循環障害に基づく上肢障害(上肢のしびれ感,脱力感,冷感など)を世界で初めて臨床報告したのが山本鹿州である.鹿州は貧困者には謝礼を返し,衣食を与えたり,旅費を恵んでやったりしただけでなく,盲目の孤児を引き取って50年間にわたって世話をしたとの記録がある.
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■田代三喜斎墓所
(古河市桜町:永仙院跡,宇都宮線古河駅徒歩20分)
田代三喜斎は1465(寛正6)年埼玉県越生町に生まれ,臨済宗の寺に入り僧となり,23歳で明国に渡った.明で李,朱医学といった当時の最先端の医学を学び,1498(明応7)年に帰国した.当初は鎌倉の円覚寺に居を構えたが,古河公方足利成氏の招きを受けてその主治医となり,足利学校(栃木県足利市)で実用主義的な医学を学んだ。門人には,徳川家康に重用された間名瀬道三がいる.永仙院(ようぜんいん)は,初代足利公方足利成氏が開基した臨済宗の寺院で鎌倉円覚寺の末寺にあたるが,今は,国道354号線沿いの畑のなかに墓地のみが残る.案内板が充実しているので,道に迷うことはない.
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■創業小屋
(日立市幸町:(株)日立製作所日立事業所内小平記念館,JR日立駅下車10分)
1910(明治43)年,茨城県日立村(現在の日立市)の山あいにちっぽけな丸太小屋があった.「模倣をもって満足する限りは日本の工業あに論ずるに足らむや」―国をあげて外国技術を導入した時代にあってそれを拒み,技術の国産化を目指し,その理想を,日立製作所という企業経営のうえに結実していった小平浪平氏の姿がそこにあった.小平氏は,電気機器の国産化の夢を現実のものとするために,この丸太小屋で発電機の製作を始めた.苦労の末,わずか5馬力ながらも国産初のモーター3台を完成させた.丸太小屋は,現在も日立製作所日立事業所内に「創業小屋」として復元保存されている.また,当時の5馬力モーターも動態展示されており,創業者の心意気を伝える駆動音が丸太小屋に響く.小平記念館見学予約は,(株)日立製作所日立事業所・総務部庶務課(TEL:0294‐21‐1111)へ
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参考資料:古河歴史博物館(http://www.city.koga.ibaraki.jp/rekihaku/),小平記念館(http://www.icc-ibaraki.com) |
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(医療科学通信2005年1号) |