
|
■佐久間象山宅跡の「象山先生誕生地」の碑
(長野市松代町 長野電鉄河東線松代駅から車)
長野県の医跡を最初に訪ねるならば佐久間象山である。象山は1811年(文化8年),松代城下に生まれ,幼名を啓之助といった。これは詩経の「東に啓明あり」からとったものである。象山の医学上の功績をあげるならば,松代に牛種痘を広めたことであろう。象山神社に隣接する佐久間象山宅跡の敷地内に,象山先生誕生地の碑がある。
象山神社は佐久間象山を祭神として奉った神社であり,境内には佐久間象山の歌碑や高義亭(象山が1854年から10年間,蟄居中に住んでいた建物),煙雨亭(象山が1864年,凶刃に倒れるまでの間を過ごした京都木屋町の煙雨楼の茶室を移築)などがある。
|

|
■蓮乗寺の「佐久間象山」の墓
(長野市松代町 長野電鉄河東線松代駅から車)
佐久間家の菩提寺は日蓮宗蓮乗寺である。1864年(元治元年),凶刃に倒れた京都の妙心寺から分葬された佐久間象山の墓と次男恪二郎の墓がある。恪二郎は象山とお菊との間に生まれた子どもで,象山の死後,父象山の敵を討つため新撰組に席をおいたが,わがままな性格が禍し,新撰組を脱退。維新後,司法省に出仕したが,食あたりのため亡くなった。
|

|
■上田公園「山極勝三郎」の銅像
(長野県上田市 JR上田駅から徒歩15分)
1863年(文久3年)上田市に生まれ,後の東京大学医学部教授として,世界で初めて人工がん実験に成功した偉大な病理学者である山極勝三郎(ヤマギワカツサブロウ)の銅像が上田公園内にある。ウサギの耳に100日以上コールタールを塗り付けて人工がんの発生を確認し,ノーベル賞の候補者となったが惜しくも受賞を逃した。
「癌出来つ,意気昂然と二歩三歩 曲川」の俳句が銅像の下にある。「曲川」は,千曲川からとった俳号である。
|

|
■阿弥陀堂
(長野県飯山市瑞穂,飯山駅から車)
長野県在住の芥川賞作家,南木佳士の小説『阿弥陀堂だより』を映画化し,ロケ用に建てた木造のお堂が長野県飯山の山中に残っている。作家としての行き詰まりを感じた主人公は,医者である妻が心の病を得たのを機に,故郷の信州に戻ることにした。山里の美しい村で二人が出会ったのは,村人の霊を祀る「阿弥陀堂」に暮らす老婆,難病とたたかいながら明るく生きる娘。静かな時の流れと豊かな自然のなかで二人が語らう生と死。死の病を得た主人公の恩師が伏す床の間にある「坐死」の掛け軸。
「医療とは?」と悩んだら,掛け軸のある正受庵,樹齢千数百年の大イチョウ,春夏秋冬それぞれの季節を映しだす棚田を訪ねるのも,ひと味違った医跡巡りである。
|
|
参考資料:「医界風土記―関東・甲信越篇(思文閣出版)」,
幕末関連史跡便覧-長野県長野市
(http://homepage1.nifty.com/~juno/siseki/s_nagano_00.html),
南木佳士「阿弥陀堂だより」(文春文庫) |
|
(医療科学通信2004年3号) |