大阪の医跡
諸澄 邦彦(埼玉県立がんセンター放射線技術部)


■除痘館跡(地下鉄御堂筋線・淀屋橋駅下車5分)
 当時多数の死者を出した天然痘を予防するため,イギリスのジェンナーによって開発された種痘の痘苗がわが国へもたらされた。大阪の除痘館は牛痘種痘を行う場所として緒方洪庵(1810〜1863)が中心になって1849年(嘉永2)11月7日に古手町(道修町)に開設された。11年後の1860年(万延元)には適塾の南に移り,そこが現在の財団法人洪庵記念会・緒方ビルの所在地である。緒方洪庵のレリーフとともに,除痘館についての説明が記された「除痘館跡」の銘板(写真)がビルの壁に埋め込まれている。この除痘館を出発として,西日本各地に分苗所を設置して天然痘の蔓延を防いだことは,天然痘の根絶の日本での先鞭をきった仕事であった。




■適塾(地下鉄御堂筋線・淀屋橋駅下車10分)
 1838年に緒方洪庵が開いた蘭学塾。ここには全国から駆けつけた塾生があふれ,談論風発の気風はその後の明治維新の激動のなか,日本の運命に大きく貢献した福沢諭吉,大村益次郎らをはじめ幕末期に活躍した多くの人材を輩出している。
 建物は奥行きの長い古い町屋の形式を残しているため,喧騒のオフィス街にあっても座敷に座れば静寂が得られ,見学者は適塾時代の空間に浸ることができる。懐徳堂の碑や除痘館跡の銘板は今も同じ界隈に残っている。




■懐徳堂跡の碑(地下鉄御堂筋線・淀屋橋駅下車5分)
 適塾の開かれる100年以上前から,すぐ西側に懐徳堂という町人学校があり,四書五経など儒学の基本をわかりやすく教えていた。「商売を勤めるうえで,あるいは日常の生計を立てるために役に立つこと。書物をもたないでも聞いてよい。中途退席も可。貴賤貧富を問わず同輩であること。」という学則は,身分社会の時代としては異色である。
 現代の塾が,公教育を補完するというよりは公教育にはできないことを実現するという伝統は,この私塾教育に起源があると考えてもいいのではないだろうか。




■聖バルナバ病院(地下鉄千日前線・鶴橋駅下車10分,大阪赤十字病院側)
 ミッション系病院としては,1900年(明治33)米人医師トイスラーによって東京築地に設けられた聖公会関係の聖路加国際病院が有名であるが,「聖バルナバ病院」は,1875年(明治8)にイギリス人宣教医パームによって設立された新潟の「パーム病院」よりさらに古い起源を有する。
 キリシタン禁制の撤廃とともにアメリカ聖公会より派遣された宣教医師ヘンリー・ラニング博士が,1873年(明治6)大阪川口居留地の与力町で米国伝道会施療院を設立して診療を開始し,その10年後に「聖バルナバ病院」は川口町に設立された。「慰めの子―偉大な聖者・バルナバ」の名に拠る病院は,1923(大正12)年に天王寺区に移転して現在に至っているが,ロビーは,当時を偲ばせるアールデコ調のつくりである。


参考資料:「医界風土記―近畿編(思文閣出版)」,古西義麿「緒方洪庵と大坂の除痘館(東方出版)」,聖バルナバ病院HP (www.barnaba.or.jp/),懐徳堂記念会HP(http://www.let.osaka-u.ac.jp/kaitokudo/
                           
(医療科学通信2003年4号)

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