インタビュー
緊急被ばく医療テキスト』著者・衣笠達也先生に聞く
アメリカにおける9.11以降の
緊急被ばく医療

聞き手:編集部
――昨年12月の半ばに,先生にもご執筆いただいた『緊急被ばく医療テキスト』を発刊することができました.先生には執筆者としてばかりではなく,ご監修いただいた青木芳朗,前川和彦先生と分担執筆の先生方との調整役をはじめ,裏方の編集者としても大いにご活躍いただき,改めてお礼申し上げます.
 ところで先生は,同書の最終校正を終えられた後,文部科学省の委託を受けて9.11同時多発テロ以降,アメリカにおける緊急被ばく医療体制がどのように変わったかを調査するため訪米されたとのことですが,今日はそれについてお話いただける範囲で本誌の読者にご紹介いただければ幸いです.まずは,訪米の具体的な目的,そしてどのようなところを訪問されたのかお話しいただけますか.

衣笠 9.11同時多発テロの後,アメリカの緊急被ばく医療体制がどのように変わってきたのかを調べるために,国のなかでの位置付けや地域環境の異なったレベルという意味での違いを考慮して,5つの施設を訪問しました.
 まずは,ノースカロライナ州の州都であるシャーロッテに行きました.ノースカロライナ州には原子力発電所があり,シャーロッテはアメリカがテロ対策重点地域とした7つのうちの1つなんですね.そこは金融関係のコンピュータ情報の集積をやっているところでもあり,地域の緊急被ばく医療の変化を見るために行ったわけなんですけれども,たまたまそういう重点地域になっていたということです.実は,そのシャーロッテにあるカロライナス・メディカルセンターはその地域の基幹病院なんですけれども,以前にもそこが原子力発電所のある地域の基幹病院ということで訪問しているんです.そこで,9.11前後の比較ができるというので選んだわけなんですね.
 もうひとつはピッツバーグ大学に行きまして,そこのラディエーションヘルス部門の主任教授をなさっていた,私の恩師であるウォルト博士に,昨年の春にはリタイヤされていたんですけれども,お会いしてきました.ピッツバーグはペンシルベニア州にあって,スリーマイル島の原発事故の起きた州なんですね.それで早くからそういう問題に取り組んでおられて,スリーマイル島における原子力事故の際ピッツバーグ大学病院は中心病院となったわけです.そういういきさつと,大学における教育がどういうふうに変化を遂げようとするのかということを調査するために行ったわけです.
 次いで,ワシントンにありますFEMA,連邦危機管理局の本部も訪ねました.これは,放射線に限らずあらゆる災害の危機管理をやっている米国特有の組織なんですけれども,そこが9.11の同時多発テロ以降,特に医療に関してはどういう体制で取り組もうとしているのかということが調査のねらいでした.
 それから,アメリカのテロに対する基本的な考え方として,NCRP(アメリカ放射線防護測定評議会)が核テロに対する対応を「レポート138」にまとめて発行しております.そのなかで医療の部門を担当されましたメトラー先生に,どういう主旨でおつくりになって,そうした難しい問題をまとめるのにどういうところにご苦労なさったかということをうかがいました.メトラー先生もニューメキシコ大学の放射線科の教授だったんですが,もうリタイヤされて,今はICRPの委員などをお務めになって,国際的な活動をなさっているわけです.
 もうひとつ,これはDOEのエネルギー省の管轄の訓練サイトであるオークリッジへ行きまして,訓練の仕方などに変化があったのかどうかを調査してきました.
―年明け早々の新聞には「同時多発テロ直後の01年10月,米政府はスリーマイル島原子力発電所へのテロ情報を入手していた」との記事が掲載されたりしましたが,具体的に,アメリカにおいて9.11以降どのような点が変わってきているのでしょうか.

衣笠 例えばテロ対策の重点地域では,これはホームランドセキュリティ,国土安全省というところが予算を投入してハコものをつくっているんですよ.どういうものかというと,二階建てのトレーラーバスに手術室を4つ5つ設備したようなものです。一階は検査室,病院の中心機能の機器類や部屋をそこに集中させて,トレーラーですから移動可能なんですね.そのトレーラーを中心にテントを出して,多くの人をトリアージしながら必要な人はそのなかで治療できる,そういうものを準備していました。テロで病院が使えなくなったり,壊滅した場合,病院が再び機能し始める数日の間,そういうところで実際にサポートするという考え方ですね.それから,基本的には教育の仕方などに関してはわが国と同じ悩みを持っていて,予算はつくんだけれども,それを実際動かす人を育てるために,医療関係者は日常の業務に忙殺されていて,協力してもらう時間がないという,日本と共通の悩みもあることがわかりました.もちろんセキュリティ,例えば原子力発電所への侵入に対する警備をさらに警戒するとかですね,そういう方向は出てきておりますが,それについては直接医療とは関係ないのでここではお話しいたしません.医療としてはやはり,先ほどお話ししましたトレーラーを装備して,7つのテロ対策重点地域に1台ずつ配備するというのが注目されたことですね.
――わが国の現状に比べて,今後日本がみならうべきところは何かありますか.

衣笠 逆に,みならわなくてもいいかもしれないところとして,そうしたハコものは整備してもそれに携わる人がいないということがありまして,米国でもやはり解決が難しい問題とされておりました.みならうべきところは,病院に固定していろいろな設備を配置したのではなく移動できる車に積んだということで,もしも7地域以外のところでテロが起きても,それらを移動させることはできますので,それは非常に参考にするべきことだと思います.人はまだ教育できていませんけれども,とにかくものだけは動かすことができます.日本は特定の病院に固定してホールボディカウンタなどを配備したものですから,ものも動かないということなんです.そこは,日本は今後変えなければいけないだろうな,というのが私の感想です.

――日本の国土や道路事情から考えて,そういうトレーラーのようなものは問題がありますね.

衣笠 あんな大きなトレーラーは日本では道を走れないから無理なんだけれども,例えばホールボディカウンタだったら,20道府県に全部に配置するのではなくて,全国で4か所くらいに分けて,北海道,本州の北と南,それから九州,というふうにして,あとは移動式のホールボディカウンタにすればいい,つまり車に積むとかすればいいのではないかと思います.それと,すでに配置したものも,10年間1回も使わずに終わる可能性もあるわけで,無駄なわけなんですよ.そういうことも,よく考えたほうがいいのではないかというのが私の考えです.

――逆に,日本のほうが優れているのではないかというシステムや方法論はありますか.

衣笠 あります.それは何かというと,教育・訓練です.場所を固定した教育・訓練としては放射線医学総合研究所がやっていて,今後広島大学もやろうとしています.それから原子力安全技術センターもやっています.また,文部科学省の委託を受けて原子力安全研究協会が今進めているのは,現地に出かけていって,いわゆる出前型ですね,そこで教育・訓練を行うということで,人に対する教育は日本のほうが今ははるかに進んでいます.アメリカも一時はやっていたんですけれども,予算がつかなくなって10年間空白があるんですね.ですから,オークリッジで細々とやっているのを除けば,線量評価のための染色体異常分析をやってくれる施設などは今のアメリカではないですね.
 日本も,のどもと過ぎればで,もうそろそろいいんじゃないのということでやめてしまえば空洞化していくわけです.それでいざとなったときには,改めて一から始めなければならずものすごい費用とエネルギーが必要になるわけです.溶鉱炉と一緒で,いったん火種を絶やすと次が大変なんですよ.だから細々とでもいいんだけれども持続していくというのが大事で,今後どの程度で持続させるかというのが重要な課題になると思いますね.当然,事故の直後のように大量の投資というのはもうできなくなるでしょうが,かといってパタッとやめてしまうと非常に危険ですので,どのへんが一番リーズナブルに人とものを投入できるのか,教育・訓練をどこまでやるのかなど,そういう議論は今後は早急にしていかなければだめでしょうね.

――刊行されたばかりの『緊急被ばく医療テキスト』は「核テロに対応した医療をも視野に入れて解説」しているとうたっていますが,アメリカや日本,あるいは以前ご紹介いただいたフランスの状況などに鑑みて,どのように位置付けられる思われますか.また,ご執筆のおひとりとしてどのように利用していただきたいですか.

衣笠 関係者はみんな核テロという事態は意識しています.ですから,それに対して医療はどういう対応をしなければいけないか,何が問題なのかという整理を早くして,そして持っている医療の実力をまず有効に発揮するために,核だけではなくバイオやケミカルのテロなども含めて,広い意味での災害医療のなかのひとつとして位置付けていくべきだと思います。そのためにはまず,そういう問題が起きたときに関係者に情報をいかに迅速に伝達して,コミュニケーションをとるかということが,今後の課題のひとつでしょう.もうひとつは,関係者のポジションがどんどん変わっていって,年単位で異動もしていますので,その人たちに適切な情報をどんなかたちで出すことができるのかというのが大きな課題になると思います.
 そういう意味ではこの『テキスト』はすごく大きな役割,それこそ中心となる役割を持っていると思います.また,例えばもっとマニュアル化したもの,図式化したものをフラッシュメモリのようなものに入れてみんなに配るとかすることも考えられると思います.ですから,ものすごい費用をかけてホールボディカウンタなどを配備するばかりではなく,テキストやマニュアルなどソフトにも力を入れることは有意義だと,私は思うのです.
(医療科学通信2005年1号)
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