● 対 談 ●
医療科学新書『医療過誤 そのパラダイム』を語る
医療過誤と医療の倫理観について
池本 卯典 自治医科大学名誉教授・日本獣医畜産大学学長
前田 和彦 九州保健福祉大学助教授


前田 医療過誤による医事訴訟の審理が非常に長くかかったのは,やはり鑑定がネックだったんですね.とにかく医師自体が医師の鑑定をしたがらない.また医師が鑑定に出てこないと裁判所もなかなかやらなかったのです.そこはいま,最高裁判所が事件を担当する裁判所と学会間を仲介して,鑑定人の斡旋ができるようになってからずいぶんスピードアップされたと思います.

 また,「現代医療の水準に則った十分な治療を受けたい」という患者の期待権とも関係しますが,日本ではリスクマネジメントがずいぶんおろそかにされてきたと思います.アメリカでは,病院自体にリスクマネジメントの責任を負わせ,その体制を整えなければ保険適用を認めないという制度をとっています.医師も免許の更新制度のなかにリスクマネジメントの分野を1割ぐらい入れて,2年おきの更新を徹底してやっていくことで,医療過誤の考えが変わったと聞いています.その点,日本では医師の免許は1回取ればよいという制度ですから,あとは個人で学ばなければならないでしょうし,また,医師は医療過誤をあまり認めたがらないとか,医的侵襲行為という言葉自体もいやがる.ですからもともと医師が行う行為は特別なものであって,いわゆる刑法の概念にあるような傷害には最初からあたらない,正当行為だというかたちで,ミスに関しての考え方がずいぶん違っていたのではないかといえますね.

 先生が医療科学新書『医療過誤 そのパラダイム』に書かれている「医療過誤とヒューマン・エラー」や「医療水準と患者の期待権」というところは,この本の非常に特徴的な部分なのだろうと読んでいて思いました.



池本 卯典
池本 鑑定は,法医解剖の鑑定と,犯罪関連資料の鑑定に大別されましょう.法医解剖は主として大学の法医学教室で実施されますが,鑑定書が完成するまでに多少時間を要しました.犯罪関連資料の鑑定は,警察の検査機関を中心に実施されます.この鑑定は初動捜査に関係がありますので,緊急性が要求されます.

 問題は,医療過誤の有無を明らかにするための鑑定ですが,これはむしろ対診の意味合いが強く,医師の診断治療と業務上傷害致死などとの因果関係を医学的に立証することであり,いずれにしても,医師対医師が医療行為について攻防することになります.一般に時間もかかりがちであり,仲間意識もはたらいて難しいこともあるようです.

 したがって,ディスクローズや公平性などを担保できる公的な鑑定制度を考える必要もありましょう.例えば,海難審判とか,JR福知山線の脱線事故解明のように,専門家が総出で検討し,即刻に公表しています.器物と人体とでは違いはあります.しかし,そうした危機管理が医療過誤にも必要ではないでしょうか.



前田 和彦
前田 特許審判もそうですね.特許庁も普通の裁判でいう一審にあたる部分が,省とか庁のなかにあるわけです.海上保安庁のところで海難事故の一審の代わりに海難審判場があるように,特許庁のなかにも特許の審判があります.それで決着がつかなければはじめて裁判所での審理を行う.そのようなシステムは,医療過誤のような非常に専門性が高い裁判にも必要なのではないかと思います.それと,海難事故も特許ももともと専門性が高くて普通の裁判所,裁判官では裁ききれないところから始まったということですから,医療過誤,医療事故もそれにあたるのだろうと,先生のおっしゃるとおりだろうと思いますね.

池本 免許の終身性の再検討,生涯学習の必要性については,古くて新しい課題だと思います.アメリカでは医師免許は更新すると聞いています.日本では医師免許のみならず主要な医療関係者の免許は一度獲得すれば自発的に返納しないかぎり終身制であり,死亡したら返すことになります.医療の技術は刻々と変化し,現在65歳以上の医師が学生時代・インターン・研修医時代には,CTもMRIも内視鏡もエコーも開発されていません.また,免疫グロブリン・DNAについても十分な教育を受けていません.染色体数すら不確実,O型を万能供血者といった輸血,成分輸血も再生医療・遺伝子診断・遺伝子治療・体外受精・高度救急医療などは日本の教科書には紹介されていない時代だったと思います.また,性転換手術は猥褻罪,インフォームド・コンセントやバイオエシックスといった問題も1960年代以降です.したがって,こうした多様な医療問題は生涯学習によって獲得する以外に方法はありません.亡くなられた大阪大学総長の山村先生が「現代の不勉強な医師は,明治初期の漢方医と西洋医以上の差があるだろう」という意味のことを誌上で述べておられたことを思い出します.

 生涯学習と医療水準は常に連動していますので,生涯学習は現代医師の責務といえましょう.特に医療過誤を繰り返される医師,つまりリピーター医師については患者を守る立場からでも行政指導が必要だと思います.ちなみに,鉄道事故の4%は,同一運転者の重複事故だそうです.とにかく医学・医療その周辺の展開は急激です.医療教育のシステムの改革,例えば,臨床実習(BSL)・早期体験教育・患者対象臨床試験(OSCE)・共通試験(CBT)など,また医療制度においても医療費抑制・混合診療・特定機能病院・臨床研修必修化・専門医制度などその改革・進展は枚挙に暇はありません.医師周辺においても,歯科医師の臨床研修,薬学部増設と6年制・薬剤師の激増,医薬分業の普及により薬効や薬の服用がディスクローズされ,私たちは大助かりです.同時に看護師などの名称変更,4年制看護大学は100校を超え,看護診断・看護治療という表現と実態が生まれてまいりました.

前田 とにかくいま,ドクターに責任を負わせ過ぎていると思います.1枚の免許で全部できるというのは,一見権利を与えているようですが,逆にいうと責任を押し付けているところがあります.ですから昔ちょっと議論がありましたが,専門医と総合医という考え方,これもひとつだと思うんです.老健施設に行かれる方はいわゆる総合医で,アメリカではファミリードクターみたいなかたちです.腹腔鏡手術のような最新医療をやる専門医が更新制度をくぐり抜けていく,それはひとつのステータスだと思います.そして,総合医やファミリードクターになる方は,地域の医療のなかで,豊富な経験を再度医療に生かせるということで,もう1回輝く場が出てきて技量や年輪が生きるというのも,これから医療のなかで探っていくことが必要なのではないかと思っています.

池本 患者さんも医療にかかり上手になりました.また,医療情報の普及,看護職・臨床心理職・各種の療法士,検査技師,介護・保健衛生などの専門職の多様化とともに,医療有知識者の人口増となりました.したがって,医療に関する理解は浸透し,患者さんは,初診医の診察に不信があれば,直ちにセカンドオピニオンとしてほかの医療機関で再診を受けます.これは医療費の高騰に多少関係はあるでしょう.また,医師側もセカンドオピニオンによって医療過誤を回避できる可能性もあり,いずれにしても近代医療にはふさわしいといえそうです.

前田 そのために地域医療支援病院をつくって,患者さんだけではなく,別の病院から医療従事者を患者さんごと受け入れる.そこで検査,手術が終われば患者さんを戻すということを,地域医療の中核病院として考えたわけですが,実際には総合病院がちょっと大きくなっただけみたいなかたちで,まだあまり機能していない部分がありますね.

池本 届出医師数は26万人を超えました.届出看護師数も100万人を超えました.医療は社会的ニーズ.患者のニーズに応じた組織化を急いでいます.とはいっても,相変わらず医療過疎地の反面,医師過剰地域はあります.厚生労働省・国会議員・ロビイストは,それぞれ対策を練っているようですが,絶対値の不足か,分配の不衝平かは不明です.いずれにしても医師は都市部に多く,僻地には少ない.それには僻地中核病院の充実,そこからの派遣医ローテーションなどが僻地勤務医対策としては,話題のようです.自治医大の定員増とか,国立医大の地域出身入学生の促進も考えられると報道されました.少子高齢化は否応なく日本を襲います.高齢者の福祉と医療は避けられませんが,当事者も賢い老年を迎えるために平素の生き方について訓練を忘れないようにすべきでしょう.医療は医師による施しではなく,患者中心主義の医療が叫ばれるようになりました.POS(プロブレムオリエンテッドシステム)という言葉を聞きます.私は,プロブレムをペイシェントに置き換えて,POSと表現しています.それは患者を中心とした医療システムの意味です.聖路加病院の日野原先生が先達でしょう.これは換言すれば医師と患者の融合を意味するものと思います.オスラーの箴言「医療は患者の治療にあたるかぎり,scienceに支えられたartである」は,あまりにも有名ですが,医療者側がその心算で医療に携わっても,受け入れる患者側にも協力者としての配慮がなければ,円滑に展開しません.特に,オーダーメイドの医療が主張されている昨今の全人医療における成果はその辺にポイントがありそうです.

 なお,医療倫理を考えるとき「言葉の壁」がよく問題になります.整形外科の患者さんに「パラリンピックに出れば」と看護師や医師から言ったとすれば,患者さんは車椅子人生を連想して落ち込まれるでしょう.ほんのちょっとした言葉であっても弱者に及ぼすインパクトは少なくありません.

 最後になりましたが,数年前に岩波文庫で拾い読みしたフランスの貴族で,戦乱により盲目となったラ・ロシュフーコーの箴言「われわれの美徳はほとんど常に仮装した悪徳に過ぎない」に,私はなぜか大きな衝撃を覚えました.そして医業や獣医業と重ね合わせました.それは,医療や獣医業における反省の原点がそこにあると思えたからです.

前田 そうですね.今日はありがとうございました.



(医療科学通信2006年1号)
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