書 評

緊急被ばく医療テキスト
青木 芳朗・前川 和彦:監修
A4版・本体4,700円・医療科学社

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[評者]佐々木 康人
 (放射線医学総合研究所理事長)
 1999年9月30日に東海村ウラン加工工場(JCO)で起こった臨界事故は5年を経た今日でも多くの人々の記憶に新しい.高度の放射線被ばくを受けた3人の作業者は放射線医学総合研究所(放医研)に搬送され,被ばく線量評価を受けるとともに急性放射線症候群の治療が行われた.放医研緊急被ばく医療ネットワーク(NW)を通じて高度の治療が実施された.担当した医療従事者にとって毎日が新しい経験であったが,最新の医療技術を駆使した治療の成果は被ばく医療の専門家の間で国際的に高く評価された.過去の放射線被ばく事故の医療に関する論文や記録を集め参考にしたが,この間の医学の進歩が被ばく医療を著しく変えたことは明白であった.骨髄移植,臍帯血移植,GCSF,抗生物質などの進歩が被ばく者の治療に大きく貢献した.

 多施設,多分野,省庁横断的な協力,超法規的対応が行われ,危機に対するわが国の医療の実力を垣間見る思いがした.難治で希有な病態に病む患者に対してもこのような対応を日常的にできればよいと思った.

 さて,本書はNWの生みの親ともいうべき青木芳朗原子力安全委員(当時)と前川和彦NW会議議長の監修によるわが国初の緊急被ばく医療の総合テキストである.執筆者の大部分がJCO事故後の医療と線量評価に直接携わった方々である.

 応用編,基礎編,資料編の3部構成をなし,被ばく医療の実践に必要な応用編を冒頭に置いている.応用編は「1.放射能・放射線事故の歴史」,「2.事故のシミュレーションと緊急被ばく医療」,「3.汚染や被ばくを伴った患者の診療」,「4.局所被ばくの診断と治療」,「5.急性放射線症候群の診断と治療」,「6.内部被ばくの診断と治療」,「7.放射線,核による災害医療」の7章からなる本書の主要部分である.いずれもJCO事故への対応の経験に加え,その後の国の原子力災害対策の強化に連動した多数の講習,訓練により培われた知識の蓄積によってきわめて実用的な記述が優れている.ただ,精神科的対応のまとまった記載がないのが惜しまれる.事故や災害時一般の重要課題であるが,放射線,原子力のからむ場合は特に大きな問題となるからである.改訂の機会があれば追加されることを期待したい.

 第2章と第7章では核テロについても触れられている.2001年9月11日に米国同時多発テロを経験して以来,世界的な関心事となっている.国際放射線防護委員会(ICRP)では,「悪意による放射線攻撃に際して,放射線被ばくから人々をどう守るか」をテーマにした勧告書を用意していて,間もなく出版の予定である.RDD(radiological dispersion device)やIND(improvised nuclear device),先に述べた精神医学的問題を含め,一層の検討が求められる今後の課題である.

 基礎編は「1.放射線の人体影響とその機構」,「2.放射線測定」,「3.線量評価」,「4.被ばく医療における放射線管理」の4章からなる.ともすれば難解な記述となりがちな放射線とその影響および管理をわかりやすく解説した名著である.ただ,被ばく医療における線量推定は治療計画,予後判定の基礎であることを考えると「線量評価」は応用編に加えたほうがよいかもしれない.
 資料編ではJCO事故を契機として急速に充実しつつある「原子力災害の体制と法律」,「わが国の緊急被ばく医療体制」の解説であり,現状を知るうえで貴重である.

 被ばく医療における最大の課題は人材の確保である.きわめてまれな事柄,起こってはならない事象へ備える分野であるので,専門家の育成とともに,本務のかたわら常に関心を持ち,知識と技術の維持向上に努める人々を多数引き寄せることが重要である.その目的に本書が寄与することを心から祈りたい.関連領域の進歩に合わせた改訂と経験と知識を国際的に共有するための英訳を勧める.
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