海外の緊急被ばく医療を調査
―2003年,フランスとロシアで―
高田 純(札幌医科大学医学部物理学教室 教授)
はじめに
 2003年,フランスとロシアの緊急被ばく医療の実情を調査する機会に恵まれました。この核技術にかかわる調査は,特にその了解を得ること自体が困難なわけです。前者では,在日フランス大使館および電力会社などの民間企業,核燃料サイクル開発機構からの道筋づけ,後者は長年のロシアとの共同調査を行っている筆者の友人のいる研究所ということで実現できました。
 日本では,東海村臨界事故以後,こうした特殊医療を問題視しています。しかし,めったに発生しない放射線事故や核災害を相手にするため,多くの国では経験値が不足しているのが実情かと思います。わが国も,確かに広島・長崎,第五福竜丸,東海村の経験がありますが,事例数は限られております。また,それぞれの被ばく経路も異なっています。ですから,海外事例の調査を自国の対策に役立てるための調査は有効だと考えています。
 今回は,昨年の調査から緊急被ばく医療に関する部分を紹介いたします。

フランスの安定ヨウ素剤の事前配布
 2001年,原子力緊急時におけるヨウ素剤配布の指針が,ようやく原子力安全委員会から提案されました。各原子力発電所立地県に備蓄されていますヨウ化カリウムであるヨウ素剤は,原子炉事故時に大気へ放出される放射性ヨウ素の体内取り込みから,周辺住民の甲状腺組織が被ばくするのを防止するためにあります。2001年の指針では,その配布の仕方を提案しています。その要点は,(1)事前配布はなく,事故が発生してから配布する,(2)40歳以上の住民および10km圏外には配布しない,(3)2日以上に被ばくが及ぶ場合には,屋内退避ではなく避難勧告する。
 この指針には,事故発生時の混乱のなか,ヨウ素剤の配布にあたって問題が発生しないかと気になるところです。まず,遅滞なく住民がヨウ素剤を摂取できるかどうかです。放射性ヨウ素を吸い込む前に,安定ヨウ素を摂取しなくてはなりませんので,配布と摂取は急を要します。もうひとつは,配布されない住民たちがパニックを起こす可能性が否定できないところです。40歳以上の人,遠方の人が,甲状腺に影響を受けるリスクが低いと考える科学的根拠は確かにあります。しかし,緊急時に,そうしたことを,説明して理解されるでしょうか。
 フランス南部に位置するトリカスタン原子力発電所を訪れ,女性の勤務医キャサリン・バイロウルさんからヨウ素剤のお話をうかがいました。フランスでは,国がヨウ素剤とそれを説明する小冊子を作成し,立地県が15km圏内の全住民へ配布します。日本のような年齢制限はありません。ペットでもヨウ素剤をもらえるとのことでした。ヨウ素剤は,その券が配られ,各自が薬局で受け取ることになります。その後,5年ごとに,古いものと交換されていきます。15kmを超える遠方の住民で希望する人たちは,薬局で購入はできます。一方,日本では,こうした購入ができない状況にあります。
 小冊子には,ヨウ素剤の医学的な意味がわかりやすい絵や写真とともに,説明されています。また,ヨウ素剤の医療ケアは,各住民の主治医の協力体制があります。それは原子力発電所の勤務医,放射線管理要員,コミュニケーション部員と10km圏内の主治医との定期的な交流に支えられているのです。
 大規模核災害緊急時にフランスでは,住民たちがまずヨウ素剤を飲んで,避難することになるのです。それは,こうした平時の住民,主治医,行政,発電所の連携がなされて成功するのだと思われました。

独立した除染建屋のあるフランスのSPRA
 核災害,放射線事故,あるいは核施設内での事故が発生した場合,救急隊がいつも気をつけることは,傷病者の放射性物質による汚染の有無です。1999年の東海村臨界事故,2002年の泊発電所の転落事故,2004年の美浜発電所での二次系蒸気事故で,この種の問題が発生したと報告があります。これにはふたつの問題があります。ひとつは,患者受け入れ時の連携にかかわることですが,汚染の有無に関する情報が救急隊へ確実なかたちで渡されない問題です。他方は,汚染が残る患者を病院が受け入れた場合の除染の問題です。
 パリにある軍の放射線防護部門(SPRA)には,病院の敷地内の片隅に,この除染建屋を持っています。放射性物質で汚染した患者は,救急車でここに運び込まれます。医師たちにより,入り口室で脱衣されてから,3室が直列してある除染室を一方通行に移動しながら,各室で段階的に除染されます。場合により応急処置を受け,清浄な身体となって,入り口と反対側にある出口より,隣接している病院へ搬出されるのです。
 この3室直列の除染室は2組が,廊下を隔てて並行に存在しています。除染の流れが一方通行なので,複数の患者が搬入されても,汚染レベルが異なる段階の状態が混在しないため,効果的に作業ができる特徴があるのです。1室しかない除染室に,次々と汚染患者が搬送されてきたら,除染作業が停滞することが予想されますが,フランス式ではこれが回避できます。日本にも,こうした専門施設がほしいと思いました。

チェルノブイリ事故時の緊急被ばく医療
 皆さんよくご存じのチェルノブイリ原子力発電所の事故は史上最悪の放射線事故ですが,そのときの緊急被ばく医療はどのような状況だったかというと,あまり知らないのではないでしょうか。医療分野にいる私たちにとって,そのときの医療従事者の被ばく線量の大きさがどのくらいにあったかは,興味あるところかと思います。
 ここでは,筆者が通常,核災害での線量を記述する際の,6区分を用います。それは,線量を障害リスクにより区分し,最上位のレベルA(致死:4Sv以上),レベルB(急性障害,後障害:1Sv以上),レベルC(胎児影響,後障害:0.1Sv以上),レベルD(やや安全・医療検診:0.01以下),レベルE(安全:0.001Sv以下),レベルF(安心:核災害影響が無視できる)です。これまでの放射線防護研究からわかってきたしきい値やICRPの勧告をもとにした,特徴的な線量値をもとに区分しています。ただし,0.01から0.1Svの間が,よくわからない線量領域です。目下,グレイゾーンというわけです。この区分で,線量を示すことで,そのリスクを,被災者が理解しやすくなるわけです。
 旧ソ連時代,モスクワにある生物物理学研究所とその付属第六病院が,放射線被ばく者の医療の中心でした。おそらく今も,そうだと考えられます。2003年3月に,その研究所を訪れ,チェルノブイリ事故当時の被ばくの調査をしました。生物物理学研究所の所長アカデミッシャン・イリーン博士の『チェルノブイリの虚偽と真実』の著書のなかに,この線量値を想像させる記述があります。
 原子炉が溶融した現場では,運転員および消防士たちが,破壊された原子炉建屋の周囲で,事故原子炉線源からの放射線による外部被ばくを受けました。また,そこから噴出した核分裂生成物質の粉塵にまみれ,そして吸引したのです。その発電所の医療部門の診療室に,急性放射線障害を発症した人たちが運び込まれました。ベコロン医師たちの救急医療の中心は,衣服の交換と熱傷の犠牲者たちを,発電所から避難させることでした。長時間,オンサイトで働いた彼らも,その後急性放射線障害を発症したのです。内部被ばくもあった高レベルの放射線環境にいた初期被ばく医療従事者は,こうしてレベルCないしBの被ばくを受けたと考えられます。
 次に,被災者たちが搬送されたのは,3km離れたプリピャチの病院でした。そこで,献身的な医療活動が行われました。彼らの線量はレベルCと考えられます。なおこれは,市民の緊急避難がなされた後の5月3〜4日に回収された線量計の値に基づいての推定です。
 現地ヘ事故13時間後に到着したモスクワ第六病院からなる緊急被ばく医療チームは,129名の急性放射線障害患者をモスクワへ搬送・治療することを判断しました。三次被ばく医療は,第六病院にて行われました。そこでは,二次汚染防止のため,数百メートルのビニールシート,職員の靴カバー,マスクが用意されました。汚染した固形物はビニール袋に入れ,汚染水は,そのまま下水処理系へ排出させたそうです。この三次被ばく医療従事者の線量はレベルEかと思います。

汚染牛乳が流通
 生物物理学研究所のこれまでの調査によれば,緊急避難のあった30km圏外の周辺住民たちにも,そのときの被ばくにより甲状腺がんが発症しています。甲状腺組織線量の原因の80%が,放射性ヨウ素で汚染した牛乳の摂取だったのです。土壌汚染の少ない地域でも,甲状腺線量の高いところがあるのです。これは汚染牛乳が流通していたからです。したがって,この汚染牛乳の流通を禁止さえすれば,この甲状腺障害は大幅に抑えられたに違いありません。
 さらに,ヨウ素剤は,プリピャチの住民以外には配布されませんでした。ですから,牛乳や吸引で放射性ヨウ素を取り込んだ多くの住民たちの甲状腺組織は,ベータ線で集中的に照射されたのです。

 めったには起こらないが,もしあったら私たち医療関係者が深くかかわる核災害や被ばく事故です。こうした海外の災害事例や先進的な被ばく医療の取り組みを,貴重な情報として私たちの国の被ばく医療の参考としていきたいと考えています。


著書:『核災害からの復興』(2005年2月)

 
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