● 対 談 ●
「医事法」について
水野  肇 医事評論家
前田 和彦 九州保健福祉大学助教授


水野:医事法という言葉を聞くといつも思うことですが,世の中でこれぐらい誤解されている言葉はありませんね。つまり,社会保障の審議会に出てくるような人でも,「医事法というのは,医学部のどこの教室でやっているのですか」とか,「法医学のなかでやっているんですか」という質問が出る。医事法という法律があると思っている人も結構いる。やはり,この言葉は少し考えたほうがよいのではないですか。この医事法という言葉は,いつごろから使われているのですか。

前田:有泉亨先生や唄孝一先生が医事法学会をつくったころに定着し始めたようです。その前は,戦前からの「衛生法規」という言葉がしばらくそのまま使われていて,東大で医事法講義があってからとも言われていますが,定かではありません。

水野:医療・保健・福祉にまつわるいくつもの法律があって,それらを全部合わせて医事法だと説明したほうが,特に学生にはわかりやすいと思うのですが。民法や刑法と同じように,医事法という法律があると皆思ってますね。私はそれが誤解の大元みたいなことになって,学問としていまひとつメジャーになれない側面でもあると思うんですね。

前田:そうですね。今法科大学院が増えていますし,日本医事法学会でも,いずれ司法試験の科目に持っていけるようにと動いているようです。ひとつは社会保障制度についての法律がすごく重要になってきたからです。介護保険や脳死・安楽死などのように医療全体で見なければ,それ単独に分けてはできないものがあります。また,医事法という名前を使わなければ,もともと法学部自体に医療法規に関する授業がないわけです。東大や京大の法科にも医療,福祉の法規を学ぶところがほとんどない。ですから司法試験に出したくても,できない。


水野  肇
水野:もうひとつ,これから先へいくと,医事法というものの根本的なところで今変革を迫られていることは何かというと,私は医師だと思っています。表面的ではないところ,川の流れでいう浅層伏流水に相当するところを見ていると,医療は音を立てて変わりつつあります。医師のためだった医療というものが,患者のための医療に切り替わりつつあるという,その段階なんです。それが法律としてどう出てくるかというのが,これからの大きなテーマではないかと思うんですよ。
 私は,最近またいろいろな病院を訪ねているのですが,「医療冬の時代」と言われていても,はやっている病院もあるんですね。それはどういう病院かというと,全部患者中心主義に切り替えたところです。診療報酬改訂で2.7%医療費を下げられたその年に5.4%上げて,その後もずっと上げているいう病院があるんです。この5年間に手術件数が9.5倍になったところもある。患者中心というだけでそれだけ違うわけです。今までいかに,医師中心できたかということですね。医師法を見てると,医師というのは間違っても悪いことをしないという前提で成り立っている法律のように読めるんです。

前田:確かにそうです。例えば,医療に関して不正な行為があっても,医師法では「やってはいけない」と書いてあるだけで,多くは罰則規定がない。確かに医師法は,医師が不正なことをしないという前提でできているところがあります。

水野:医師法というといつも脳裏に浮かぶのは武見太郎さんです。偉大な人でしたが,あの人は「医者ぐらい偉いものはない」という立場を代表していましたから,インフォームド・コンセントには理解を示しませんでした。私がインフォームド・コンセントについて本を書いたのは10年ほど前ですが,そのころようやく医師会もインフォームド・コンセントをやろうというふうに,変わったんです。 
 時代は変わりつつありますね。今から15年くらい前に経済学者の加藤寛氏と「2000年には医療経済のわかる人を日本でもう10人くらい増やそう」と話をしたことがありましたが,今は京大の西村周三教授をはじめ何人か出てきましたね。次は医事法の専門家をもっと増やさなければいけない時代がきていると思う。だから私は,非常にタイミングのいいときにこの『医事法セミナー(新版)』が出たと思って拝読しました。これからはこれを読まずに医療過誤を語るなという時代がくるんじゃないですか。最近はわかりもしない人が言い過ぎている部分もありますね。先日も,週刊誌の記者がうちに来て「先生,健康保険て何ですか」と聞くんです。世の中おかしいですよ。ある程度勉強した人が,さらに何かで誰かのとこへ行って聞くというならそれは大いに聞いたらいいし,それにまた,知っている人は十二分に答えてあげなければいけないと思いますが,これは医事法でもそうだと思います。先生のとこへ「医事法ってどういう法律ですか」って聞きに来る人は多いんじゃないですか。

前田:多いですね。

水野:そういう人がいなくならないと。私はその第一歩がこの本だと思っています。これからは皆が横において,辞書の次にこの本を重視するというぐらいになるものではないかと思う。最近,介護や福祉などにはいろいろな人が参加してくる分野がいっぱい出てきています。法律には,そういう状況を整理する役割もあると思うんですが,衛生法規というのは取り締まり法規でしょう。でも医事法の基礎は取り締まり法規ではなくて,これができることによって世の中がよくなるんだと,あるいは楽しく生活できるんだというところにありますので,私はこの医事法は絶対に必要になってくると思っています。例えば,痴呆になった人の財産管理はいったいどういうふうにやるのか,ほとんどの人は知らないでしょう。


前田 和彦
前田:一応,成年後見制度がありますが,利用する側にとってみると実は面倒な制度です。成年後見制度で後見人を立てたとしますね。そして,その後見人が奥さんだったりすると年齢が近いんで,その方もまた痴呆になったりする。今度はその奥さんを支える人を後見人にしたいとすると,それもまた裁判所に出さなければならない。それが面倒くさいので,最初のころはほとんど機能しませんでした。あと,第三者が入ってくると,家族というか親戚が嫌がるということもあります。自分たちでなんとかしたい,あるいは財産をうまいこと動かしたいというような思惑もあって。

水野:日本はそういう国ですね。訪問介護で家に行くでしょう。そうすると,他人がくるのは勘弁してくれと。介護保険が問題になり始めて,審議会で私が「痴呆になった人の財産管理はどうするんだ」と聞くと,誰もなんの答えもリアクションもない。「よくわからないので,次回まで調べてきます」なんて,そういうところから出発した状態ですから,私はこれから加速度的にこの本が必要になる時代がくるし,続編が必要になる時期がかなり早くくると思う。

前田:何しろまだまだ専門にやっている人が朱鷺みたいな存在なので,いつ絶滅するか(笑)。日本医事法学会のなかですら医事法を専門にやっている人は多くはいないんです。日々医事法にかかわっているのは医療過誤訴訟を中心にしている弁護士とか,医療関係者,精神医療をやっているという人が中心です。医療から福祉から,医師法から保助看法から感染症とか,全体を網羅してやっているのは全国でも少ないです。ただ,どこの医療系の大学も必ず関係法規は必要だと言っているんですが,現実に教えているのは地元の弁護士だったり,行政の衛生担当官とかいわゆる医療の担当官です。ですから衛生法規は教えられるんですが,介護保険が入ってくるとか,薬事法が入ってくるところもあるので,きちんと教えているところは結果的にあまりないということになります。結局国家試験用にやっているだけで,学問としてやるところは少ないですね。

水野:それも2010年まででしょう。私は2010年になったら法学部に医事法教室というものが出てくると思う。私はこれを読んで非常におもしろかったし,法律の本でこういうふうにわかりやすく書いてあるのは他にはなかなかないですね。法律の本というと,難しいほどいいというようなところがあるでしょう。こういうふうに書かないといけないし,わかりやすく説明してあげないと。特に今の学生はそうでしょう。教科書のほかには新書くらいしか持っていないとか。私も頼まれていくつか医学部の講義に行って,そこで感じたことなんですが,これからどうなるのかと考えると,ひとつは先ほど申し上げた患者中心の医療,もうひとつは勉強しない医師がついていけなくなる時代がくるということです。

前田:それは私も同感です。日本で更新制度を持っているのは,精神保健指定医だけなんです。それも医師免許がなくなるわけではないんですね。指定医がなくなるだけなんです。これがアメリカだと2年おきの更新でそれが100ポイントぐらいのセミナーを受けなければいけないんです。そのなかの1割ぐらいがリスクマネジメントなんです。医療機関もリスクマネジメントやアカウンタビリティ(説明責任)とかをやっていないと,保険がつかないとかメディケア(アメリカの高齢者保険)も取り扱えないとか,死活問題です。でも,それだけお金をかけて研修をして,医師やナースも増やして,大丈夫なのかというと,それだけやっている医療機関ほど信用されますから訴訟が少なくなるわけです。そうしてペイできるわけです。日本は,訴えられなかったからコストがかからなかったというだけなんですね。


水野  肇
水野:ある新聞社の記者と医療過誤について話したことがあるんですが,なぜ日本の病院は隠し体質が強いのかと聞くので,「隠し通したら事件はなかったと同じになる。そこに問題があるんだ」と答えたわけです。記者は「なるほどそういうことだったんですか」と妙に感心していました。私が昭和25年に国立大学で血液型を間違えて死亡したケースを書いたときの記憶では,院長が「こんなの記事になるのか」「国立大学なら年に2回や3回あることだ」って言うんですね。「いやあ,えらいとこだなあ」と思ったのが,私が医療過誤と付き合った最初です。先日,東京女子医大から「心を入れ替えたから見にきてください」って言ってきたので,行ってきました。そしたら私の言うとおり患者様になり始めた。それで,患者様のための図書館っていうのができていて,そこに毎日新聞が出した医療過誤の本『事故がとまらない』が置いてありました。大分変わりましたが,そういうふうに何かないと目が覚めない。

前田:横浜市立大学附属病院も同じですね。

水野:あれはひどいケースでしたね。一人の看護師がストレッチャーを2つ運んだから,看護師が悪いって皆が言う。医師が看護師を責めるなんて考えられない。裁判では,人の名前と顔を確認するのが商売じゃないと言った医師もいる。ただ,不思議だったのは患者がほとんど減らないことでしたね。横浜市の人口は350万人くらいでしょ。そのなかでオールラウンドで三次医療が行えるのは横浜市立大学だけだから,あれだけの事件を起こしても,患者が減らなかったんですね。だけど東京女子医大は違った。東京女子医大の近所には大学病院がいっぱいありますから。
 ところで,国公立大学の附属病院は救急をやりたがらないですね。ああいうことも本当は問題だと思うね。診療拒否に近いんですよ。

前田:それは昔多かったですね。医学部の古株の職員に聞いたら,事務局が当直医に「とにかく受けるな。ベッドがないと言え」と言っていたらしいですね。昔はそれが通用していたわけです。制度を変えていって,判例も変わって,それができなくなったのは最近の話なんです。今は地域医療支援病院などは救急をやらなければならないと決まっています。そういう意味では法改正は良いことでしたね。これからは,救急と小児科が充実した病院が生き残っていくと思います。一番のニーズがそこですから。ただ,医療改革がそこにいってくれないと結局ダメになるだろうと思います。

水野:そういうところへ重点的に点数を配分するようにしないとね。私は,前田先生がどうご活躍いただけるかということが,まさに医事法がどこにいくかということを決めるのではないかと,前々から思っているんですよ。

前田:今の医療制度のなかで,できあがっていないのもたくさんあるわけですよね。患者中心の医療ということがあるんですが,ひとつは最初水野先生が言われた医師を中心とした医療重視の意識改革です。その意識改革は,おそらく半分ぐらいは,時が解決すると思うんですね。今の30代40代が中心になるときにかなり変わると思う。医学部の医局が変わり始めましたね。医局の人事に関しても,ある程度専門性であったり,その人の技量を見ようとする教授や助教授たちの集まりが増えてきているんですね。それが10年経つころにはかなり正常化できると思います。ただ,完璧にならないところがありまして,それが医師免許の更新制度がないことです。つまり,勉強をする気になる人しか良くならないんです。その気にならない人が2割ぐらいいたらそれが周りを引きずるので,医療が沈むんです。そこを改革できるかということが,医事法がひとつかかわるところですね。

水野:それは結局,日本の医師の何割が欲張り村の村長かということでもあるわけです。そういう人はだんだん減ってきていると思うけど,この前の医師会長の選挙を見ると,やはりまだ相当な力を持っている。しかしそれではいけないんですよ。例えば,患者中心にすれば患者が集まる,そうすると他のどこかが潰れるかもしれないけれど,淘汰があるのは当たり前でね。医師の世界だけがいまだに護送船団方式なんですが,多くの医師が日本医師会がその護送船団方式を代表していると誤解しているところに問題がありますね。


前田 和彦
前田:まだ,しばらくかかると思っています。今年から医師の臨床研修制度が始まると言ったとたん,医局が力を発揮して,派遣しているドクターを数多く引き上げてしまい大きな問題となっています。県立病院とか市立病院は,地方の大学医学部から派遣される医師に頼り切ってましたから。

水野:ある病院の院長の意見なんですが,2010年までに自治体病院の3/4は潰れるだろうと言う。これは問題発言だと思うけれど,つまり患者が少しわかってきたら格好だけの二次医療病院は存在価値がなくなるということなんです。かつては医師のライセンスがあれば,銀行が3億円貸したわけですけれども,今はそんなことはありません。銀行だけではなく,国民もわかってきたわけです。それが全体を左右する。自治体病院というのは格好だけで,医師すら確保できないんです。だから,教授のところに金持って行ったりしているわけでしょう。

前田:公立病院といえばメジャーな病院のはずでしたが,これから気を付けなければ崩れていくと思うんですね。

水野:日赤とか済生会とか公的医療機関も選択される時代に入ってきていますね。

前田:時代の流れとしては,アカウンタビリティだと思うんです。ISOや病院機能評価をとることなどが重要になっていますね。宮崎県の古賀総合病院は民間でありながら両方とっていて,注目を集めていますね。

水野:例えば,千葉県の亀田総合病院は相当なものですね。見せてもらって驚いたのは,徹底してITを利用していたことです。支払いの待ち時間ゼロだったけれど,やろうと思えばそういうこともできるということですね。また,東京の神尾記念病院ではクレジットカードが使えるんです。クレジットは手数料をとるでしょう。5%から2.5%まであるそうなんですが,院長がクレジット会社と交渉して全部2.5%にして,それを病院で負担している。院長は「やる気になればできます」と言ってました。新聞も雑誌も2種類までサービスで入れている。コーヒーも病院の喫茶室に行けば,1日1杯は無料です。本当にいろいろなことを一生懸命やっているんですよ。そうするとそれだけの効果は上がるんですね。また,感心したのは,耳鼻科の専門医7人が全部常勤で,アルバイトがいないんです。そのうえ,まだ採用してくださいと言ってくる医師が常時いると言うんですね。院長室にある壁半分ぐらいの大きいモニタは手術室と直結していて,それを院長が見ていて,マイクで「そう切ってはだめだ」とか,コーチしているわけです。一人ひとりの医師にしてみれば,いつも院長に見られていると思って緊張している。そうしていれば,ライセンスだのいちいちテストしなくてもいいのではないかと私は思うんですけれども,全部そうやっているわけではないでしょう。

前田:そうですね。『リスクマネジメント』(医療科学新書)の最後にも書きましたが,アメリカでやっている制度がそのまま日本でいい結果をもたらすとは言えないと思います。どちらかと言えば,日本の場合はコミュニケーションから始まって,だんだん変わっていって,最終的には亀田総合病院や神尾記念病院のようなかたちになっていくほうが多分いいと思います。法律でこうするって決めた場合は多分うまくいかないと思うんですよ。

水野:そう思いますね。今日は,主に前田先生の新著『医事法セミナー(新版)』にまつわってのお話でしたが,医事法そのもののテーマは,また別の機会にお話ができればと思います。本日はどうもありがとうございました。

前田:こちらこそ,どうもありがとうございました。


(医療科学通信2004年3号)
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