【インタビュー】
佐藤 幸光
(日本大学医学部附属板橋病院中央放射線部)
今,医療現場に求められる
“リスクマネジメントに生かす人間工学的アプローチ”
聞き手:編集部
―先生は常々,医療現場において人間工学的アプローチによる問題解決の必要性を説かれています。そこでまず,日本リスクマネジメント協会よりリスクマネジャーとしての認定資格を得て,医療事故の事例研究を中心に研究されているお立場から,現今の医療現場における問題点,あるいは欠けている点などをお話しいただけますか。そこから,人間工学の必要性ということが見えてくるのではないでしょうか。

佐藤:私がリスクマネジメントへの問題意識を持ったのは十数年前に遡ります。そのころ,産業界では安全性に対する取り組みが非常に進んでおりました。一方,医療現場では,医療事故というものが世の中にだんだんと露呈されるような状況になっていました。それは以前にもあったわけですけれども,情報開示の必要性や患者さん自身の問題意識の高揚など医療を取り巻く環境が変わってきたことによるものです。医療事故を事故として認識し,安全性という視点からとらえるということを産業界に学んでいかなければならないと考えられるようになりました。
 医療現場で今,医療事故がヒューマン・エラーに起因して発生しているという認識が高まり,その防止施策を模索しているのが現状と言えます。そのヒューマン・エラーを取り扱っている学問分野がいわゆる人間工学なのです。医療現場では,マン‐マシン・システムのなかで仕事をしているわけですけれども,今こそ,人間工学的なアプローチを踏まえた取り組みが急務であると考えております。人間工学の扱う範疇は,ヒューマン・エラー,マン‐マシン・システム,作業設計,環境(作業現場),生活,社会・公共システムなど広範囲にわたっております。これらのものは,日常の医療現場において,患者さんや医療従事者間で安全でなおかつ快適な医療環境をつくっていくうえで大いに取り入れていくべき内容が網羅されています。

―『人は誰でも間違える』という本でも,同じ趣旨のことを言っていますね。

佐藤:基本的には「人間は間違える動物である」という前提に立って考えるということです。以前は,問題が起きたときには個人的な原因を追求して罰するだけの話で終わってしまう責任指向型で問題解決を図りましたが,原因指向型を講じた解決策を見出さないと物事の本質的な解決にはならないということです。医療事故を考える場合,ペリル(火種)とハザードとリスクという考え方があります。日常生活においても,われわれが行動するなかにペリルになるものが必ずあるわけですね。そのペリルにハザードという一つの環境的要因が加わることによって,リスクの発生という問題に発展していく一連のプロセスがあります。このことをよく考えておく必要があります。

―最近では,事故を防ぐためにインターフェイスを意図的に不便にしようという考え方が出てきていますね。

佐藤:人間と機械を仲介するインターフェイスをどのように人間的な部分にアプローチさせるか,あるいは医療従事者がそれぞれ一連の作業を行ってもミスが起きないようなシステム,すなわち,フェイル・セーフやフール・プルーフという考え方に基づく機器の導入やシステムの構築が重要ですね。これまでの医療機器の設計思想のなかには,あまりそのような考え方が見あたりませんでした。今こそ,もっと人間工学的な部分を考慮した医療機器の出現が待たれる所以です。人間を中心に据えたときに,機械との関係,あるいは患者さんの関係においての安全と人に優しい機器類が望まれるわけです。

―人間工学というものが,医療界ではまだまだ十分に理解されていないということでしょうか。

佐藤:人間工学が必要と考えても,どう取り入れて日常の診療業務のなかで生かすかという部分が明確にされてないということですね。人間工学を医療現場のなかに根付かせていこうとする動きというのは,最近になって散見されるようになってきましたけれども,まだまだこれからです。もっと人間工学の専門家と交流を深め,多くのことを学んでいくべきでしょうね。人間工学のなかで取り扱っているヒューマン・エラー,人間の行動レベル,意思決定段階的プロセスなどから学ぶべき点は多々あります。リスクマネジメントを考える場合,インシデントや医療事故等の背景には,ヒューマン・エラーによる要因が多くかかわっていることを忘れてはなりませんし,その発生要因や防止施策についての十分な検討と各医療現場の状況に対応したマニュアルの作成が必要となります。

―リスクマネジメントについては,航空業界などは先進的にやっていますが,そこではどのような取り組みがなされていますか。

佐藤:航空業界のリスクマネジメントでは,特に安全性に関した研究は進んでいます。コックピット内の利用可能なすべてのリソース(情報資源)を,最適な方法で最も有効に活用することによって,クルーのトータルパフォーマンスを高め,より安全で効率的な運航を実現することを目的としたクルー・リソース・マネジメントがあります。この考え方は,医療現場でも活用できると思っておりますし,現に,航空会社におけるヒューマン・ファクターに関する訓練などのなかで一般的に使われていた「シェルモデル」が医療現場でも利用されています。 

―決まった人が決まって同じようなミスをするとよく言われます。そういう人を切り捨てるのではなくて,分析してミスを犯しやすいところで気をつける,そこを別の人にサポートしてもらうことで改善できていくわけですよね。

佐藤:例えば,人間の情報処理過程エラー分類との関係を考えてみますと,さまざまな情報がそれぞれの人の感覚・知覚・認知(入力過程)などを通じて入力されます。次の段階で判断・意思決定(媒介過程)をし,最後には動作の計画・動作の遂行(出力過程)と一連のプロセスがあります。人間は,それぞれ3つの過程のなかで,どこかの過程で陥りやすいピットホールがあるわけです。ある人は情報の入力をあまり得意としない,また,きちんと情報が入手できないという人もいます。あるいは情報は入手したけれども,媒介過程でものを考える意思決定がうまく機能できないとか,行動する段階で不安全行動を起こし,大きなミスに至ってしまうケースが見られます。それぞれ3つの過程で引き起こされるミスに対する防止施策を考えることにより,未然にミスを防ぐことができるようになります。
 特に医療職の仕事は,ひとつのことだけに専念していればよいというわけにはいかないんです。一人でマルチ的に作業を遂行しているのが現実ですね。作業途中において行動の中断が必ずといっていいほど行われます。例えば看護師が患者さんと対面して仕事をしているときに電話が入る,医師から仕事を依頼される,患者家族より声をかけられる,他の患者さんから相談事が入るといったような状況のなかで,仕事の優先順位が逆転したり,情報の遮断が起こってしまう。ここで困るのは情報の遮断が起こった時点でモードエラーというものが起こってしまうことです。例えば冷蔵庫に牛乳をとりに行ったとき電話が入って,冷蔵庫に戻ったときに何をとりにきたのか忘れてしまうとか,揚げ物をしているときに電話がきて,つい話に夢中になってガスレンジのスイッチを切らなかったために火事になったとかです。今までやってきた仕事の流れが寸断されることによって,元の行動にまた戻ったときに「今何やっていたのか」わからなくなってしまうというのはよくある話ですね。
 人間の行動というのは,行動の遮断とか情報の遮断とか「間」が入ることによりモードエラーを起こしてしまいます。これがミスを引き起こすことになるわけです。医療従事者が組織のなかでチームを組んでいるわけですから,個人として,チームとして事故を回避する努力が必要となってきます。いわゆるセルフモニタとチームモニタという考え方です。われわれは,プロとしてセルフモニタをたえず行いながら仕事を進めておりますが,セルフモニタが効かない状況というのがあります。メンタルな部分が損なわれている場合,あるいは身体的,生理的な活性が非常に落ちて集中力を欠いているときは,自分の行っている行動がなんであるかという客観的に自分を概観するといった機能(メタ認知)が働かないときがあります。それを回避するためには,チームモニタの発揮が望まれるのです。チームモニタとしては,職場の同僚などがその役割を担うわけですが,職場の人間関係が最悪な状況ではうまく機能しません。ときには患者さん,患者さんの家族もチームモニタのメンバーとなる場合もあります。

―患者さんの名前が記された点滴などは,自分の名前ではないものが刺されようとしているのは,わかりますよね。

佐藤:そのときに,患者さんより「この薬は他の患者さんの名前になって,違っていますよ」と言われることは,プロとしてプライドを傷つけられたとか,恥ずかしいという思いを抱くことがあるかもしれませんが,人間のやることですから最終確認したのにもかかわらず,そのような事態が起きたときに,患者さんや患者さんの家族の方たちからの一声がチームモニタとして機能が発揮されれば事故を回避できるわけです。その一言に感謝すべきですね。チームモニタをうまく機能させる土壌として,職場のより良い人間環境や作業環境づくりが大切になってきます。

―ひろく医療界に啓蒙する書を,ぜひ早くまとめていただきたいですね。
 ところで,村上陽一郎先生が日本の医療界というのは安全に対する対策の整備ということで10年,20年遅れているとお書きになっていますが,今,実際の現状をご覧になっていかがですか。

佐藤:そうですね。人間工学はかなり広範囲な部分を網羅しておりますが,医療現場で使っていただけるような医療人間工学なる書物を著わしたいと考えております。
 村上先生が指摘されているように,「医療界が遅れている」と言われても現状としては認めざるを得ない部分もあります。毎日のように,マスコミで医療事故にかかわる報道がなされている状況を見れば明らかです。

―最後に,医療現場におけるリスマネジメントを実践していくうえで,何が一番大事だとお考えですか。

佐藤:日本信頼性学会というところで「巨大システムと人間(ヒューマンファクター―事故を考える)」と題して緊急シンポジウムがありました。各界より4人のパネリストの基調講演があり,その講演のなかで共通していたキーワードに「安全文化の醸成」という言葉がありました。私もいつも言っているのですが,医療現場において安全文化をいかに醸成させていくか,文化として根付かせていくかということが一番大事だということです。それには事業者側(病院執行部側)がそういった発想を持って,職員のなかに考え方を浸透させ,うまくリーダシップを発揮していくかどうかに帰結できるだろうと思います。数人のリスクマネジャーや医療安全管理者が献身的に問題解決に奔走されてもあまり大きな期待ができないのが実情でしょう。職員一人ひとりがさまざまな問題を共有し,コラボレーション(協働)のなかで安全文化を創生していく土壌を築いていくことが大事かと考えております。
(医療科学通信2004年2号)
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