◆ 近 刊 ◆
『緊急被ばく医療の手引き』を語る
(2004年春刊行予定)

青木 芳朗
(財)原子力安全研究協会 放射線災害医療研究所 所長


前川 和彦
公立学校共済組合 関東中央病院 院長


衣笠 達也
(財)原子力安全研究協会 放射線災害医療研究所 副所長
 
衣笠:今日は,青木先生,前川先生のご監修のもと編集作業が進められております『緊急被ばく医療の手引き』(仮題)についてのお話をということで,進行役をおおせつかりました。本題に入る前に,緊急被ばく医療にかかわる医療関係者,あるいは搬送も含めた方々の教育・研修の現状ということからお話をお聞きしていきたいと思います。そもそも,この緊急被ばく医療にかかわる方々を対象とした教育・研修を始めるときに,いろいろな立場の方に共通の認識を持っていただきたいということで,座学,机上演習,それから実習というステップのモジュールA,B,C*(文末参照)というのが出てきたと思うのですが,まず前川先生にその経緯をおうかがいしたいと思います。


■原安協における緊急被ばく医療の
           ネットワーク構築・研修事業

前川:これは財団法人原子力安全研究協会(原安協)が平成13年度に文部科学省の委託を受けまして,緊急被ばく医療のネットワーク構築・研修事業というものを立ち上げることになりました。当初はもちろん原安協にとってみれば何もないところから出発するということで,対象を明確にして目標を立てて,3つのモジュールを考えて,段階的に教育・研修していこうという計画を立てました。ところが,その教育・研修を始めるに際して直面したことは,医師をはじめ看護師やそのほかのコ・メディカルの方々に対する適当なテキストがないという現実です。そういう状態でしたので,そのつどテキストをつくって受講者に差し上げてきました。講習を受けられていない方々にも共通の認識を持っていただくために,教科書的なものをつくってみたらどうかというのがおそらくこの本の制作の出発点だと思います。

衣笠:座学,机上演習,それから測定・除染実習という3つのステップを研修のひとつのセットと考えて,それを実際に2年間続けてきたわけですけれども,今の時点での感想と言いますか,収穫・効果というのは青木先生,どんなふうに見ておられますか。

青木:平成13年度は前川先生が中心になってやられていて,私は14年度から引き継いだんですけれども,今までの活動は非常に効果があったと思います。最初は,前川先生が言われたように,本当にわが国でも初めての試みでしたので,どういうことをやろうかと皆で熱心に議論をしたり,教育学など教えるための勉強もいたしました。それでも地域の先生方や放射線技師さん,看護師さんたちは最初,原安協ってなんだろうという疑念があったようですが,継続してやっていくにつれてだんだんそれぞれの地域に浸透していき,知識,経験を積み,若い人も育ってきたと思います。それから,パワーポイントを用いて講習するんですけれども,その内容がだんだん洗練されてきたなと思います。ですから私は,その中身をもう少し噛み砕いて1冊の本にするというのは非常に大切なことだと思っております。とにかく,層の厚さと言うか,関心を持つ人が増えてきたことを本当に肌で感じています。


■『緊急被ばく医療の手引き』の特徴,利用法
衣笠:今,原安協における緊急被ばく医療に関するネットワーク構築・研修事業の経緯,成果についてお話いただいたんですが,現在『緊急被ばく医療の手引き』という本を各先生方に分担執筆をお願いしているところです。では,この本は誰にどういうふうに利用していただいたらいいでしょうか。

前川:そうですね,もともとこの企画の叩き台となったのは原安協の緊急被ばく医療研修の各モジュールのテキストだと思いますし,それに則って構成されていますので,基本的にはやはり原子力施設立地道府県における医療関係者を対象としたものだと思います。もちろんそれ以外にも,この領域に関心のある方々には必要最小限の知識を提供してくれる,そういうものになると思います。

衣笠:個人で読んでということですが,実際にどんなふうに利用したらいいでしょうか。

前川:この本をそのまますぐに実地の医療に応用するということは少し難しいと思いますが,内容的には包括的で,緊急被ばく医療に関連する基礎的な部分も包含していると思いますので,実際の医療を展開する前の幅広い知識を蓄積するという意味では有用だと思います。そしてこれに加えて,具体的な研修を重ねることによって実効性のあるものになっていくのではないでしょうか。

衣笠:今,原安協が文部科学省の事業委託で展開しているのは原子力施設のある道府県が中心なんですけれども,放射線を利用している施設というのは日本中いたるところにあります。そういうことも含めて,青木先生はどういう方に読んでいただきたいと考えておられますか。

青木:放射線事故というのは日本国中いたるところで遭遇する機会があるわけですから,原子力施設等が立地しているところだけではなくて,そのほかの地域の医療関係者,あるいは搬送や地方自治体の人も含めて,この本はそういった方々に読んでいただければ非常に役に立つと思っています。

衣笠:お二方はこの本の監修というお立場にあるわけですが,こういう本にしたいとか,こういう本ができあがればいいなあというご希望はいかがですか。

前川:そうですね。この領域におけるおそらく最初の教科書だと考えていいと思います。内容的にはモジュールA,B,Cのすべてを包括していまして,基礎的なことから法律までを含めて非常に豊富です。関係者の共通認識という意味では,緊急被ばく医療にかかわる人たちがそれぞれこれをお読みいただいて,ある程度の理解を持っていただくとその後の議論や,実際の実習に大いに役立つのではないかと思いますね。できれば読みやすい,面白いものにしていただけたらありがたいですね。例えば文献をいっぱい並べてあまりに学術的に走ってしまうと,逆にとっつきにくいかもしれません。とっつきにくいということは読む人が少ないということですし,面白い読み物として読んでいただけるようになると一番いいのではないかと思います。純粋に教科書にしてしまって,医学部の学生しか読まない,あるいは研修でしか読まないとなると,あまり意味がないような気がしますね。

衣笠:青木先生はいかがですか。

青木:私も大賛成です。いわゆる医学部の教科書というのでは面白くない。やはり,正確さは求められますけれども,絵がたくさん入っていて非常に読みやすいものにしていただきたいですね。正確さと読みやすさの両立というのは難しいですけれども,そこのところはぜひ工夫して,ひとつの物語のようなかたちでざっと読める,だけど内容的にはしっかりとしているというものを目指したいと思っております。

衣笠:本書の構成を見ますと,普通と違って応用編から始まっています。これはどのようなお考えからですか。

前川:普通は基礎から入って応用にいくと思うのですが,放射線医学は特に単位の話が出てくるととたんにややこしくなってギブアップしてしまうことが多いんですね。ですから,どちらかというと皆さんの興味が湧いてくるような放射線事故の歴史というあたりから説き起こして,比較的臨床的な話題を先にもってきて,さらにもう少し基礎的なことも理解しようと思えば後ろを見ればいいという構成にということでこの企画を立てたものです。

衣笠:放射線事故の歴史を取り上げることの意味というのは,何か特にお考えがございますでしょうか。

前川:緊急被ばく医療というのはまさに放射線事故による被災者に対する医療ということですので,そういう意味では本来緊急被ばく医療の対象となる原因事象というものをまず知っておく必要があるでしょうし,こと放射線に関して医療の視点から一番関心があるのはやはり事故だと思うんですね。そういう意味で事故について十分理解しておいて,そこから教訓を学ぶという内容を一番最初に置くほうが入りやすいんじゃないかという配慮があります。

青木:放射線事故と言うとすぐに思い浮かぶのがチェルノブイリ,それからスリーマイル島の原子力発電所の事故ですね。しかし,放射線事故の歴史を読んでいただけるとわかるんですけれども,実際は普通の密封線源あるいは非密封線源による事故が非常に多い。そして,そういう線源は日本国中いたるところにあって事故が起きる可能性が非常に大きいということがわかっていただければ,これは特殊な医療ではなくて普通の医療,自分たちがすぐにでもやらなければならない医療であると理解してもらえると思うんです。放射線事故というのは普通のところで普通に起きる事故なんだということです。ですからそれに対して準備が必要であろうということがわかっていただけるんじゃないかと思います。


■低頻度の緊急被ばく医療へのモチベーションをどう高めるか
衣笠:原安協の研修で各地に行きましても,医療関係者から自分たちがいつ使うかわからないものを勉強するのは,動機づけあるいは切実さという点でなかなか難しいという声もよく聞くのですが,前川先生はどんなふうにお考えでしょうか。

前川:同じことは災害医療にも言えます。一般の災害は確かに放射線事故の頻度に比べるとはるかに高いですが,日常診療に従事してらっしゃる先生方が災害医療にかかわる機会というのは非常に少ないわけですね。しかし,災害時にはやはり対応しなければいけないとは思うのですが,一般災害についてでさえも全国規模の教育・研修は立ち後れている実情があります。そういうことからすると,やはり医療関係者に当然求められる要件,義務の一部と考えれば,めったにないことかもしれないですけれど,やはり勉強しておいていただきたい。
 それから,もうひとつはとりわけ原子力発電施設立地道府県の住民の方々に対する不安感の払拭ということにおいては,やはりその地域の医師の果たす役割は一番大きいと思うんですね。国がなんと言おうが地域の医療関係者に説明されたほうが住民としては安心感があると思うんです。そういうときのためにはやはり少なくともこういう教科書に書いてある知識を持っていただいて,より正しい判断をして患者さんや地域住民に対する説明,あるいは診療活動にあたっていただくことが必要だと思うんですね。それにはこの『緊急被ばく医療の手引き』がきっと役に立つだろうと思います。

青木:それに関しては私も,ふたつ意味があると思います。ひとつは,医師が事故にあった周辺の一般住民に対して説明することによってその気持ちを和らげる心のケアということです。それからもうひとつは,放射能汚染をした患者さんを取り扱う医療関係者あるいは搬送関係者が,この本を読んで理解していただくことによって,自分たちも二次被ばくするのではないかという漠然とした不安を払拭してもらいたいということです。そうすれば自信を持って患者さんに対することもできますし,先ほど言いましたように,普通の医療になってくるのではと思います。

衣笠:緊急被ばく医療が普通の救急医療と最も際立って違うところは,汚染対応をしなければいけないということと,線量評価という普段しなれないものにかかわらなければいけないということだと思います。そのほかには,いかがでしょうか。

前川:もうひとつ加えると,住民に対して必要以上の不安感を惹起するということがあります。しかし放射線事故の場合には,測定できるということと,測定することによって影響をある程度定量的に予測できるということがあるんですね。生物兵器とか化学物質による災害でも測定できるものはありますが,実際症状が発現してからでないと診断がつかないという場合も多いわけです。それを十分に理解されると,不必要な不安感というのをあまり持つことはないだろうと思います。先ほど青木先生もおっしゃったように,事故というのは原子力発電所で起こるものとはかぎらないわけで,われわれの周辺には本当に日常的にいわゆる放射性物質を扱った機器や放射線を発生する機械が使われているわけで,それによる事故というのは十分起こりうると思います。そういう意味で,この『緊急被ばく医療の手引き』の果たす役割というのは大きいのではないかと思います。

衣笠:緊急被ばく医療と一般の救急医療や災害医療とどこが違うんだろうかと言うと,やはり汚染対応と線量評価というのが医療関係者にとって大きな問題かと思います。汚染対応については原安協におけるモジュールA,Bの研修などを通じて理解されてきているものの,線量評価の実際の対応システムについては今後解決しなければいけない問題がいくつかあるんじゃないかと思うのですが,それについては青木先生はどうお考えでしょうか。

青木:線量評価には生物学的線量評価と物理学的線量評価とありますけれども,どちらも非常に大切になります。生物学的線量評価の代表的なものは染色体異常の分析,それから物理学的線量評価としてはいろんなものがありますね。ただし,この本を読む人が線量評価を自分でやることはないのであって,線量評価の持つ意味というものを理解することが大切です。ただわが国の線量評価,生物学的線量評価の体制というのはまだまだ十分ではないし,これからそれをきちっとしていかなければならないとは思っています。いずれにしましても,一般の医療関係,搬送関係の方々はとにかく線量評価が緊急被ばく医療には必要なもので,出てきた数値とその意味についてしっかり理解できるようにしていただければそれで十分だと思います。先ほどから話があるように,放射線事故というのは原子力発電所よりはむしろ一般の施設でのほうが多いわけで,そのときに私たちが対象にしている原発等立地地域の関係者だけではなくて,他の地域の人たちも少し勉強しておいていただいて,放射線防護と線量評価が付け加われば,一般の医療機関で対応できるようになるだろうと思っています。

衣笠:救急の先生方の日常感覚から言って,こういうことを改めて勉強するというのは負担ではないんでしょうか。

前川:実は,救急をやっている人たちはおそらく他の領域の人たちよりもそういう新しいことを勉強することを一番厭わない集団だと思うんですね。なぜかと言いますと,救急医学そのものが他の診療科での成果をどんどん取り入れていく応用科学,他の領域で開発された診療の応用であるという認識を持っています。既存診療科のうちではそういう新しい領域に対する興味を一番持つ集団だと思います。現実に,東海村のJCOの臨界事故以降の救急領域の教科書を見ますと,医師向けの教科書でも,救命救急士向けの教科書であっても,例えば放射線防護についてなどより具体的な被ばく医療に関する記述が増えています。

衣笠:それは本当にうれしいことですね。ところで前川先生は,東海村のウラン加工施設の臨界事故で最も高線量の被ばくを受けられた患者さんを実際に治療されたわけですが,そのご経験を踏まえて緊急被ばく医療のあり方というものに対して何か今お考えになっていることはございますでしょうか。

前川:難しい質問ですね。あってはならない事故が起こったわけですし,それに対して対応できる態勢というのは少なくともわが国も持っていなければならないと思いますね。そして先ほども言いましたように,たとえ原子力発電所がなくなったとしても,工業用装置での被ばくというのは十分考えられる。ですからそういう放射線事故による患者さんに対しての治療態勢というのはやはり恒常的に持っていなくてはならない。ただし日常的に必要とされるわけではないので,普段は一般診療をやっていて,いざとなるときにはそれが転換できる余裕のある施設と人員が必要ですね。理想的には,国立大学的なキャパシティを持った機関に放医研のような機能が付加されると一番望ましいでしょうね。

青木:これは本当に古くて新しい問題で,もともと原子力発電所の事故のときの医療というのは,救急医療も含めて放医研が行うということが法律的に決まっているわけなんです。だけど,放医研がすべてできるわけではないし,と言って放医研の能力を国立大学が持っているかと言うとこれも問題がある。やはりお互いに補完するようなかたちで,今のところはいかざるを得ないなと思います。そうしますと,JCOのときに有効であった放医研の緊急被ばく医療ネットワーク,幸いにして前川先生が委員長だと思いますが,それはずっと育てていかなければならない。それからもうひとつは,全国的に見て放医研だけでいいのかという問題もあります。ですから,大学とそういう専門家集団とを合わせたようなものをもう少しテコ入れしていかなければならないとは思っているんです。


■緊急被ばく医療への関心を風化させないために何をなすべきか
衣笠:臨界事故を契機に緊急被ばく医療というのは抜本的に見直されて,予算もついていろいろと進められているわけなんですけれども,時間の経過とともに風化していくという問題があります。前川先生はその点に関して,今後どのように取り組んでいくべきだとお考えでしょうか。

前川:その解答があれば問題はないと思うんですけれども,この緊急被ばく医療においてはどのように継続していくかということが一番大きな問題なんですね。きわめて低頻度の事象でここ10年かあるいは20年の間に再び起こることがないかもしれないにもかかわらず,なおかつそのために備えておかないといけないということになると,ある程度国家的な取り組み,公的なサポートを考えていかないとだめだと思います。それからやはり私たちの社会のリクスマネジメントという位置づけで社会がサポートする必要があると思います。

衣笠:青木先生は,今後緊急被ばく医療が風化していかないために何をしなくてはいけないとお考えでしょうか。

青木:これはもう風化しつつあるのは事実でして,私たち医療関係者だけではなくて,むしろ国のほうが風化をしている可能性が大きいと思うんですけれどもやむを得ない。だけれども,先ほどから話が出ているように事故というのは原子力の関連施設だけに起きるわけではなくて,日常的に起こる可能性があるわけですから,医療関係者がこれを風化させないためにいろいろ努力しなければいけないと思っていますし,丸2年以上,原安協で研修などを行ってきて,自分を守る放射線防護と汚染拡大防止などをきちっと勉強していただき,普通の医療となんら変わらないんだと理解していただくことによって風化をくい止めることはできるのかなと思います。

衣笠:実は私は放射線技師会が認定している放射線管理士養成の講習会で緊急被ばく医療の講義を担当しているのですが,非常に多くの方が熱心に受講されています。放射線管理士というのは現在のところまだ400人足らずだそうですが,技師会では全国3万人の会員のうち5000人くらいを放射線管理士として認定したいとのことでした。放射線技師さんは日常的に放射線検査に従事していらっしゃいますし,一般の医師や看護師さんなどに対して放射線について啓発していこうともしているようです。そういう意味で,放射線技師さんたちのグループにはぜひ期待したいし,風化をくい止めていってくれる力になると思うのですが。

青木:原安協でいろいろな研修をやっているときにも,診療放射線技師の方は非常に熱心ですよね。それに積極的にやろうとしています。そして日常的に放射線にかかわっていますので,風化しようがないんですね。そういう意味で診療放射線技師の人たちの力というのはこれからますます必要になってくると思いますし,非常に力強い人たちだと思っています。この本はやはりそういう人たちにも勉強になるものと思っています。診療放射線技師の人たちがわれわれと一緒に勉強していただければありがたいですし,勉強への意欲というのはお互いに大切にしていきたいなと思っています。

衣笠:放射線管理士は公的なオーソライズという意味ではまだまだこれからというところだと思いますが,ぜひその意欲を緊急被ばく医療の領域に反映していただいて,よりよいシステムをつくっていきたいと思います。

 今日はお忙しいなかありがとうございました。
(2003年7月)



*モジュールA,B,C:緊急被ばく医療のネットワーク構築に際し,参加者が共通の認識を持つための講義・演習・実習のプログラム。Aは緊急被ばく医療の入門基礎編で,放射線の性質・単位・人体影響,緊急被ばく医療の実際,放射線事故の歴史などの講義コース。Bは入門応用編で,Aで得た知識の実践的整理を目的とし,過去に起きた事故をモディファイして事故をシミュレーションし,患者の搬送,医療機関での受け入れ準備を中心に演習問題を解き,発表するコース。そしてCは入門実践編で,A,Bで得られた知識を実際に使い,想定事故の患者を外来処置室で実際に扱うコースである。

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