(財)早期胃癌検診協会
丸山雅一理事長の檄に応える
放射線技師の思い

 

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 昨年『注腸X線検査の標準化』を発刊するにあたり,推薦のことばを丸山雅一理事長に依頼した。
 氏から送られてきたのはこの書の読者のみならず消化管のバリウム検査に携わる放射線技師すべてに宛てた檄であった。
 この檄文に込められた志,思いを共有する放射線技師が増えれば,氏の言う消化管X線検査の「滅びの道」を押しとどめることができるはずである。また,そうでなければ,この檄文は消化管X線検査の歴史そのものの遺言となってしまうかもしれない。
 氏の声は放射線技師たちに届いているのだろうかと思い,幾人かに声をかけてみた。短時日の依頼であったにもかかわらず,3名の放射線技師が情熱と使命感に溢れた思いを声にして寄せてくださった。以下に,「推薦のことば」と名付けられた氏の檄文とそれに応える放射線技師の声を紹介したい。

推薦のことば(抜粋)
 今や,注腸X線検査に限らず,上部消化管のX線検査は滅びの道を歩み始めた感がある。だが,まだその流れを止めることは十分に可能だ。そして,流れを止める主体は医師ではなく,放射線技師である。これは自明のことだ。しかし,国のシステムとして,技師が医師に代わってX線診断の担い手になるためには幾多の困難がある。
 どうしようもない状態であると誰もが認めていることでも,その難局を打開するために新たな決断をするということはほとんどありえない。これが日本の一般的な精神的風土である。身の危険が迫ったとき以外,日本人が自ら局面を打開するための行動にでることは皆無に等しい。
 医師はX線診断をほぼ放棄してしまった。しかし,ならば我々が,と技師達達が立ち上がる兆しもない。双方ともに成り行きまかせなのである。バリウム診断は我々が引き受ける,とまず覚悟を決めよ。そうでなければ,この本など無きに等しい。医師並の撮影と読影くらい我々にもできる,などというくらいのことであるならば,標準化などというもっともらしい表題の本など笑止のことだ。活字で正攻法の主張をしている時間などないと知れ。
 そのためには,古いしがらみをすてて団結せよ。互いの確執を捨て。若き指導者の下に結集せよ。さもなくば,技師の力などあてにならぬ。職能集団としてひとつの力となったとき,この本の真価が判る。そして,医師達が越えることができなかった壁の向こうが見えるはずだ。満たされない精神状態でいくらこの本を読んでもバリウム診断の滅びの構図がさらに鮮明になるだけだ。
 この本を書くために使ったエネルギー以上のものを自分達の団結のためにもう一度甦らせて欲しい。新たな出発の決意を新たにしたときにこの本が無くてはならぬものであることを自覚するだろう。価値ある本である。しかし,その前に解決すべきことがありすぎる。
 およそ1年前,病を得て明日をも知らぬ身からすれば,これは推薦の言葉ではなく,遺言であり,檄文である。

  2002年9月,10歳若ければと嘆きつつ
  (財)早期胃癌検診協会理事長
  丸山 雅一

 

檄 文 に 思 う
● 高橋 伸之(社会保険北海道健康管理センター)
 久しぶりに心の叫びを聞いた気がする。正直,熱いものが体中に沸いている感じだ。
 では,自分に何ができるだろうか。消化管造影検査に対する情熱だけは持っていると思う。この情熱を丸山先生の言う“しがらみ”のためになくしてしまってはいけない。  まず第一歩。同じ情熱を持つ多くの仲間と語り合いたい。

● 武井 恒夫(神奈川県予防医学協会)
 一般的に「推薦のことば」は,書籍や執筆者に対して美辞麗句を並べ購買意欲を高める目的で書かれていると思っていた。
 衝撃を受けたとき,「鳥肌が立つ,電流が走る」あるいは「身震いがした」というような表現をよく用いるが,経験は少ない。初めての経験である。
「自分はこれで満足である」と一つの線を引いて結果を求めてきた。それが納得できなくとも一つの結果と受け止めてきた。なんと情けないことか,不満足な結果でも自分自身が勝手に納得していることに気が付く,このように制約を知らず知らずのうちに受け入れた時点から実は自分の限界が始まっていたのであると気が付く。「推薦のことば」を読むまでは。
「推薦のことば」のなかに秘められた情熱,この言葉が新たなる情熱を生み出すことは間違いないと確信する。そして,一線を越えることの難しさ,厳しさ,はがゆさが錯綜するなかで,今,放射線技師は何をすべきか見えてくる気がする。言葉のなかのさらなる一喝が自分自身を奮い起こさずにはいられない言葉である。未来のためにも今こそ闘争心をむき出しにしても努力と団結が必要なことは明白である。

● 藤  照正(財団法人倉敷成人病センター放射線部)
 丸山先生の檄文には,消化管X線検査に携わる放射線技師に気付かぬばならぬ実状を知らしめ,われわれに諦めることなく期待してくださる姿勢を強く感じる。非常にありがたく感じる次第である。
 私事で言えば,10年前に3年間はじめての日本人技師としてシンガポール政府より就労許可を得て勤務した折,日本人を対象とした消化管X線検査の分野でその真価が問われることとなった。今から思えば,それまでは組織のしがらみのなかで過ごしていたであろう,しかし,一人技師としてシンガポールの地で依頼医からの信頼と顧客の利益を得るというMission(使命)を私は強く感じたのである。
 実際,海外から健診に来られたお客様に帰りの飛行機を変更させてまでも内視鏡検査を受けていただくといったようなケースがいくつかあり,確信が必要だったのである。この確信とは,経験や感に頼るのではなく,科学的に標準化された知識で得られるのだと思う。
 消化管検査にかかわる技師は経験や場というしがらみのなかで標準化とは遠い位置にいるのではないだろうか。それを,より確かな技術を標準化することで,われわれ技師は結束し,世に真価を現すことが必要と考えさせられた次第である。
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