インタビュー・著者に聞く
中村 實(社団法人日本放射線技師会名誉会長
                鈴鹿医療科学大学理事長)

著書 『医療の大義に生きる─中村實自撰論説集─』
(2003年3月刊)


――35年間という長きにわたる日本放射線技師会会長職のなかで,先生の9冊の本が小社から出版されております。その各論説のエッセンスを編年体にて取捨選択していくことで,実質的な日本放射線技師会史をまとめようという編纂作業を行ってまいりました。江間忠先生(元日本放射線技師会監事)にもご協力賜って話し合ったことですが,改めて中村先生の35年間にわたる事績の大きさに感じ入ります。
 そういうご自身の体験を踏まえ,このたび出版の運びとなった『医療の大義に生きる』について,著者の立場でのご感想からまずうかがいたいと思います。
中村:一昨年病気をして,それをきっかけに技師会の会長を退任することを自分で決めたわけです。これは誰からでなしに自分で決定した。今回の自撰論説集を発行するにあたっては,今お話いただいたような経緯でしたが,何よりも古い本が絶版になってしまい,最近の若い会員は技師会の苦難の歴史というものを知らない。それが心残りでした。現在の問題は,そのほとんどの根が過去にあるわけですから,その当事者である私の,まさにその当時の論説を読んでもらえれば,問題の本質がつかみやすいことになります。それがこの本の編纂の強い動機であったと思います
 最初は昭和52(1977)年に,『明日への旅立ち』という本を技師会の会長になって10年してから発行したわけですが,これは混迷している会を引き受けて法律を改正したりなんかして,技師会というものの実態を本当に身をもって知った10年間でした。35年と言っても,問題の本質はこの10年間にすべて言い尽くされており,その後2〜3年おきに出版されてきた書籍は,それの応用や具体的な展開に主眼をおいた論説になっていると思いますね。
 それ以外にも『見えない光線』とか『病める医療』というのを他の出版社から2,3冊発行していたわけですが,それらは一般人に向けた本で,放射線技師あるいは会員を対象に見すえて一貫して出版してきたのは医療科学社からで,それらが9冊にもなったわけですね。それで病気のこともあり,会長を辞めて少し暇ができたことから,自分では回顧録を仕上げるつもりで資料を整理しながら,それまでの9冊の本のページを繰っていたわけです。そうすると,そこには自分で歩んだ道に一貫してひとつの流れがつくられていることに気がつくわけですね。自分の本から自分の生きてきた道を発見するという体験。それは私の道程であると同時に技師会の道程でもあるわけで,私はそう言い切れるほど自らを捨ててやってきたつもりです。医療における放射線技師の職業の確立と向上,また医療全体のなかでの技師の役割の明確化,医療社会に内在する封建制からの脱皮等々について,毎月毎月書きなぐってきた結果がこの9冊の本のそれぞれに漲っている。そういうものを一貫して会員に説いてきたわけで,それらの問題は今も変わらないわけです。
――なかでも先生が長年一番の課題とされてきたことは,技師法の抜本的な改正ということでした。これは在任中には,3回にわたって法律の改正が手がけられ,いずれも一部改正というかたちで整備してこられましたけれども,抜本的な改正というのはまだまだ遠いといった感を強くします。しかし平成5年の一部改正では,業務拡大とチーム医療,守秘義務明記が大きなステップとしてとらえられるなど,抜本改正に向けた条件を着実につくってこられました。現在行われている放射線管理士などはその延長にあるわけですね。そこでこの本を通じて今後の若い技師さん方に,何を学んで何を実行してほしいのかということを端的にうかがえればと思います。
中村:本をたくさん書いてきても,結論はやはり医療改革と同時に資格法である診療放射線技師法を根本的に改正することに尽きるわけですね。そのために何をやるべきかということで,言わば城を攻めるについては堀を埋めていくといった条件は詰めてきたと思っています。そのためにも立法府の関係とかいろんな方々と接触をもって,要するに技師はこうあるべきなんだということを説いてきた。
 それはこれからも同じことでなければならないわけで,基本になる資格法というものを抜本的に改正していくというスタンスが常に対外的になければ,技師の仲間だけでいくら理想的なことを言って論じてきたところで,対外的には評価されないと私は思うわけです。
――また先生の業績のなかで,一番成果が実感されるのはやはり教育改革です。技師の教育課程をより高度化して,医師の教育課程にひけをとらないような,あるいはそれ以上のものになりうるような教育改革を進めてこられた。それにはやはり鈴鹿医療科学大学の創設をご自身が身をもって実現されてこられたことが大きい。以来,現在では完全に四年制大学の流れになっている。ですから必ずや将来は技師法の抜本改正という方向にいくと思うんですけれども,まだまだ10年20年先かもしれません。それにつけても,その根本精神になるものがこの本には凝縮されているということになりますね。
中村:そうですね。しかしそのことは,会員の人たちが読んでいただくことによってそれを味わっていただきたい。
 私は病気をして体調を悪くしたことを契機に会を引退して,今振り返ってみると,もう悔いはないわけです。やるだけのことはやってきた。だからこれからはやはり,次の世代がこれまでの問題から逃げずに引き継いでくれることだと思います。それにはリーダーが選ばれるわけですが,そのリーダーの信念というものが問われる。今度のこの自撰集も,これを私は今の執行部以上にこれからの若い会員の人たちに読んでほしい。会員がその気になればものごとはできると。それでリーダーがその気になれば不可能なことが可能になるというのが私の信念であり,この自撰集の内容ではなかろうかと思うわけです。
――最後に,今声高に新聞でも民間でも医療改革が言われていますし,国のほうでも抜本改正をやるということで取り沙汰されているわけですが,じゃあ個々の医療職の人たちはこれだけ言われているのに何をしているんだという感じを抱いています。医療事故があったときに頭を下げていれば,そのうち批判は止むといったような,様子をうかがっている姿勢が見えかくれするわけですね。そんななかで,内部から医療人自らが改革を旗印に35年間やってこられたということに大変感動します。この本の意義はそういう面でも非常に大きいなと思います。
中村:だからリーダーが右往左往しちゃいけないということで,自分の職域はどうあるべきか,日本の医療はどうあるべきか,そのなかにおける技師はどうあるべきかということの信念だと思うんですね。それには勇気がいる,自己を捨てなければできないことだと思うんです。
――そのエネルギーが,これを読んでいると漲っているわけですね。ぜひ読者はそのエネルギーをもらってほしいというのが出版社からの,著者になり代わってのお願いなんです。
中村:そうあってほしいですね。
――ありがとうございました。

『医療の大義に生きる―中村實自撰論説集―』
出版記念祝賀会

 昨春,わが国医療職能団体史上異例の,35年間という長期にわたる日本放射線技師会会長職を退任された中村實名誉会長は,このたび1977年以来9冊にわたって小社より刊行された自著のエッセンスをまとめた標記書籍を出版(3月18日発行)。それに先立つ3月10日に三重県・四日市都ホテルにて,鈴鹿医療科学大学および東海地域の日本放射線技師会関係者約100名が参集して出版記念祝賀会が催された。
 中村名誉会長は,昨春以来大学理事長として教育事業に専心される傍ら,回顧録の執筆準備を進めてこられ,その間自らの著作を年代を通して調べていくなかで,各論説の課題が今日性を失っておらず,技師会史あるいは医療社会批判としての有意性から自撰作業に着手。会長退任から1年を経ずして同書の上梓に至った。在任中同様出版活動に寄せる強い意欲をうかがわせるとともに,体調を崩されていたとは思われない“不屈の人・中村實”健在の感を強くするものである。
 発起人代表ならびに来賓者の祝意を受けた後,中村名誉会長は「会長として長い時間をかけ,自分なりの信念と目標でやってきた流れがこの本には凝縮されている。日本の医療は改革が言われながら,まだまだ追いつめられなければ真の改革は生まれない。その意味でも,この本の突きつけるテーマは意義を失っていない。また,大学は経営的には安定しているように見えても,現状のあり方には決して満足していない。したがって私のやれることはまだまだあると思い,力の続くかぎり与えられた課題に挑戦してまいりたい」との挨拶を述べ,「何事も自己を捨てて本気でやれば必ずできる」との実践精神を力説。
 会場は,医療と教育の大義にかける中村名誉会長ならびに大学理事長の底深い情熱を改めて確認し,今後一層の壮健と活躍を期する来会者の大きな拍手で湧いた。

 

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