書 評

東海村臨界事故 被曝治療83日間の記録
NHK取材班:著
A5判・本体1,600円・岩波書店

 ひとつだけ言えることがある。それは,前川和彦という希有の存在を得てはじめてなされた医療,“命の視点”に立った医療であるということだ。1999年12月21日夕刻,評者は,東大病院救急医療部にその医療に携わっていたひとりの医師を訪ねた。その医師は何も言わなかったが,ただならぬ気配が感じられた。所用をすませ外に出ると,テレビ局の中継車が1台街路灯に照らされて浮かび上がっていたことを憶えている。その夜遅く,患者さんが亡くなったことをテロップニュースで知った。言うまでもないが,東海村の臨界事故において被ばくした患者さんである。
 本書は,2001年5月に放映されたNHKの番組「被曝治療83日間の記録〜東海村臨界事故〜」の取材班がそのデータをもとにまとめたもので,テレビではカットされた証言も採られている。幾分か情緒的に流れる傾向が見られるのは,テレビ人によるレポートだからか。ただ,人に焦点をあてその証言で綴っていく手法は,“命の視点”に立った医療をという前川の主張を浮き彫りにするのに適しているように思う。なかでも印象的なのは,若い研修医や看護婦たちが,致死線量を大きく超える放射線を被ばくした患者さんの治療をいつまで続けるのかと苦悩する心情を吐露するくだり。おそらく,前川自身も同じ思いでいたに違いないだろうが,「ともかく最後までベストを尽くしてくれ。いまは何も考えずに,治療をつづけていこう」と医師や看護婦たちを鼓舞し,自らは病院に泊まり込んで治療にあたったのである。
 しかしながら,放射線による臓器や組織の損傷はもはや押しとどめることさえ叶わず,12月21日午後11時21分,患者さんは亡くなった。翌日の記者会見での前川の言葉「原子力防災の施策のなかで,人命軽視がはなはだしい。現場の人間として,いらだちを感じている。責任ある立場の方々の猛省を促したい」は,いまだに記憶に新しい,はずであってほしいのだが,巷間,すでに東海村の臨界事故は記憶の底に沈んでしまったようにも見える。医療人のなかにもすでに意識の底に封じ込めてしまった人が少なくないのかもしれない。
 希望は,残されたご家族の祈りに応えるように,患者さんの治療を引き受けた前川らの信念が今もなお彼ら医師グループに根付き,万が一に備えた対処方法を模索し続けていることである。起こってしまったことと,今現に行われていることを風化させないためにも,ぜひ本書を読まれたい。
(編集部)
↑このページの先頭へ