フランスにおける
緊急被ばく医療機関視察印象記
衣笠 達也(財団法人原子力安全研究協会放射線災害医療研究所副所長)


SPRA施設長ジャン・イフ・トレキュエ氏と筆者(SPRAにて)

 

 

 

 

 

 

 

 

 



物理学的線量測定部門での説明(SPRAにて)

 2002年9月30日から10月6日にかけて,筆者はフランスの緊急被ばく医療体制,特にその研修システムの現状について,現地調査を行った。この調査は,文部科学省から(財)原子力安全研究協会に出された委託事業のうち,研修事業の一環として行われたものである。ここでは,フランスでの緊急被ばく医療体制の現状および特徴について,調査時に気のついたことを述べることとする。
 今回の訪問先は,キュリー研究所,放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)およびフランス国防省放射線防護センター(SPRA)と同センター付属のパーシー軍病院であった。
 フランスの原子力関連施設は軍関係も含めフランス全土に存在しているが,放射線事故や原子力災害等で患者が発生した場合には,地域の医療機関で対応できるもの,例えば汚染や被ばくが軽度である症例は地域で対応し,汚染や被ばくが深刻である症例および汚染や被ばくに重症の外傷や熱傷等の救急疾患を合併している症例などはパリの上記の施設に送られてくることになっている。つまり,地域で処しきれない場合はすべて上記の3施設が互いに協力して引き受けるわけである。さらに,キュリー研究所はヨーロッパ大陸で起きた放射線事故に対する医療の中心でもある。フランス人の言葉を借りれば「すべてはパリに向かう」である。
 キュリー研究所はパリ市内カルチェ・ラタン近くに位置し,研究部門と病院部門からなり,財団により運営されている。通常の業務は癌の診断と治療,研究,教育などである。被ばく事故で患者が発生した場合は,急性放射線症候群や局所被ばくあるいは内部被ばくを中心に診療を行っている。歴史的には1951年から被ばくした患者の治療を行っており1998年までに696人(うち128人は国外から)を治療した実績を持っている。次に紹介するパーシー軍病院とともにフランスおよびヨーロッパ大陸における緊急被ばく医療の要である。
 フランスの緊急被ばく医療におけるもうひとつの砦であるパーシー軍病院はフランス国防省,保健局の管轄下にあり,パリ郊外にあるフランス国防省放射線防護センター(SPRA)に付属し,同センターに隣接している。病院は一般市民にも開放されていて,彼らの診療が日常的に行われている。緊急被ばく医療に関する主な任務はあらゆるパターンの汚染を伴う救急患者の診断と治療を行うことである。同病院には放射能汚染患者処置施設,輸血および血液研究センター,熱傷センター,外傷センター,血液疾患病棟などが併設されているため,外傷や熱傷を伴った汚染や被ばくの患者を治療することができる。現在,日本で頭を痛めている汚染(特にアルファ核種による汚染)を伴う重症熱傷患者や重症外傷患者を受け入れることのできる医療機関がフランスではすでに整っている。今回そこを訪問して実際の運用状態を直接見ることができ,診療システムなどに関して同施設の責任者たちと議論できたことは大きな収穫であった。
 一方,放射線と原子力の安全に関する国の機関である放射線防護・原子力安全研究所(IRSN)の主な任務は原子力と放射線の安全管理や防護に対する技術的指導と情報提供および関連分野での研究である。IRSNの取り扱う対象は,(1)原子力施設や放射性物質の輸送時の安全,(2)健康影響と放射線防護,(3)環境の放射線防護,(4)核物質と軍事利用生成物の管理・防護,(5)原子力施設および核物質輸送時の放射線防護である。さらにIRSNは,放射線事故時や原子力災害時の危機管理に関しても放射線防護や緊急被ばく医療の面で指導的役割を果たせるよう24時間対応を行っている。
 フランスは国の威信をかけ,国策として独自に原子力の研究,開発,利用を進めてきた歴史を有している。原子力災害対策とともに,緊急被ばく医療も原子力政策の危機管理の一環として位置づけられており,政府,軍,研究所,病院が互いに協力しパリを中心とした専門家集団を形成し活動している。緊急被ばく医療が他の医療に比して頻度の低いものであることを考えると,フランスの中央集中方式は合理的で実効性の高いものと思われる。青森県の六ヶ所村の大規模再処理施設が稼動するにあたり,それに特化した緊急被ばく医療体制はわが国ではいまだ整備されていないが,フランスのこの中央集中方式は大変参考になるものと思われた。
執筆者の著書: 放射線物語 !と?の狭間で
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