放射線は本当に微量でも危険なのか?
直線しきい値なし(LNT)仮説について考える

出版にあたって
佐渡敏彦

 2011年3月11日に福島第一原発事故が発生した時、ついに心配していたことが起こったというのが私の正直な実感だった。私は生涯を放射線の生物影響研究に関わってきた一人の科学者として、いつも心の片隅でこのような事態の発生を危惧し、その時のこの国の対応が気になっていた。実際に、事故が発生してみると、残念ながら、この事故に対する政府の対応はあまりにもお粗末であった。この事故が発生した3月11日までは、将来はわが国の原子力発電を50%にまでもっていこうと計画していた政府に、いつ起こるかもしれない原発事故に迅速に対応できる体制ができていなかったことが明らかになったからである。

 そして、一部の科学者やマス・メディアは、予想した通り、必要以上に放射能に対する国民の不安を煽るような記事や報道を流し、この事故によって放射能に汚染された地域の住民の不安感を増大させたばかりでなく、日本中に放射能および放射能汚染物質に対する極端な拒否反応を誘発し、福島県あるいは東北産の物や人の移動に対する風評被害は目に余るようになった。週刊誌では、時折、世間から御用学者と批判されながら正論を吐いておられる放射線の専門家や医者もいたが、それらの正論はなかなか多くの国民に届かないもどかしさが感じられた。このようなマス・メディアの報道や友人からのメールなどを通して、放射能汚染問題で騒然とした世の中の状況を見聞しているうちに、私は一人の放射線科学者として、一人でも多くの国民に、放射線の人体への影響について、できるだけ正しい知識をもっていただく努力をする責務があるのではないかと感じるようになった。そこで、私は自らの意志で本書の出版を考え、医療科学社の古屋敷信一社長に相談したところ、直ちに快諾の返事を得ることができた。昨年7月下旬のことであった。

 それ以来、私は放射線の人の健康への影響を正しく理解していただくために必要な情報を収集・整理しながら、原稿をパソコンに入力しつづける一方で、内容の正確さを期するためにできるだけ多くの同僚や後進の研究者に校閲の労をお願いして、半年あまりで何とか現在の形にまとめることができた。時間不足で、内容的にはまだ不満な点が残っているが、一日でも早く、この書を公にしたいとの思いで、現段階での出版に踏み切ることにした。

 本書は二部構成になっている。第一部は、主として、ジャーナリストや世論形成に重要な役割を果たしておられるいわゆる識者といわれる人たち、一般市民から放射線の人体への影響について相談を受ける立場におられる放射線を専門としない医者、およびこの問題に特に深い関心をもっておられる多くの一般市民の方々を読者層に想定して、放射線の人の健康への影響を以下の4章にまとめて解説した。第1章では、放射線の人体に及ぼす影響を理解するための基礎知識を、第2章では、私のチェルノブイリ訪問記と題して、1986年4月26日のチェルノブイリ原発事故発生から9年後および10年後に私がウクライナを訪問して現地の人たちに講演をしたり、見聞したり、感じたりしたことを、第3章では、チェルノブイリ原発事故発生後20年余りの間に現地の被災者に認められた健康への影響について国連傘下の多くの機関と被災国の研究者との共同調査研究によってこれまでに明らかになったことを、そして、第4章では、読者の多くが関心をもっておられる人のがんの原因と放射線被ばくに起因する発がんリスクの大きさについて原爆被爆者の疫学調査から得られた知見について紹介した。

 第二部では、最初に、一般読者と特にこれからこの問題に関心をもっていただきたい若い研究者への啓蒙の意味を含めて、「核時代のはじまりと放射線の影響研究?私の放射線の生物影響研究の歩み?」と題する1章をもうけた。この章では、はじめに、私の放射線の生物影響研究の自分史をつづる形で、一つの読み物風に、1950年代における核の時代の進行とそれに伴う世界および日本における放射線の影響研究の広がりと、私がどのような経緯で放射線の生物影響研究と関わりをもち、それを私のライフワークとするにいたったかを述べた。次いで、私が、どのような理由から、本書の副題として掲げた放射線による発がんリスクの推定に用いられる「直線しきい値なし(LNT)仮説」に疑問をもち、それを克服するための新しいモデルを考究するようになったかを述べた。そして、第二部第2章から第5章までは、今回の原発事故を契機に、放射線による発がんリスクの問題に特に深い関心をもつようになられた医者や幅広い領域の生命科学および放射線の生物影響の研究者や科学ジャーナリストに是非読んでいただきたいとの思いを込めて、LNT仮説に内在するいくつかの問題点について、実験生物学者としての視点から、かなり専門的な考察を試みたものである。したがって、この部分に関しては、生命科学のあるレベル以上の知識をお持ちでない読者には難しすぎる内容であることをお断りしておかねばならない。それでも、この問題に特に関心を持たれる読者が、流し読みでも、第二部の全体に目を通していただければ、LNT仮説とはどういうもので、どこに、どのような問題があるのかということがある程度は理解していただけるのではないかと期待している。

 本書を校正中に私はオックスフォード大学名誉教授の物理学者ウェード・アリソン著・峯村利哉訳「放射能と理性:なぜ100ミリシーベルトなのか」(徳間書店、2011)を読む機会があった。この本の中で著者はLNT仮説を厳しく批判し、月当たり100ミリシーベルト以下の放射線は安全であると言い切っている。そして、彼がそのように考える根拠について詳しく論じている。放射線生物学者としての私は、この主張ににわかに賛同することはできないが、この本の主要な論点は、物理学者である彼の目には、これから数百年のスパンで人類の将来を見据えたときに、現在の地球環境にとっての喫緊の課題は地球の温暖化というリスクをいかにして食い止めるかということであり、そのためには人類にとって原子力発電は不可欠のエネルギー源であって、それ以外の現実的な選択肢はないとして、その普及のためにはLNT仮説の間違い(過大なリスクの想定)を正さなければならないとしている点にある。

 私自身は、実験生物学者として、放射線防護の指針としてのこの仮説は放射線発がんのメカニズム論的に問題があると考えており、加えて、この仮説が、目前の原発事故発生時の低線量放射線の発がんリスクを考える際に、私たちの身の回りにごまんとある他のリスクと比較することなく、放射線のリスクだけを切り離して論じることによって、低線量域における発がんリスクを過大に印象づける結果になり、そのことが社会にさまざまな負の影響を与えているように思われ、その状況を変えるには、この仮説に代わる新しい放射線防護理論の構築が不可欠であると考えている。したがって、LNT仮説が放射線の「安全性」を重視し過ぎるあまり、低線量域における発がんリスクを過大に見積もる結果になっていることを問題にしているという点で、この本の著者と私の見解は基本的には一致している。ただ、問題は「安全」のレベルはどのあたりにあるかということである。私は本書の第二部第5章でこの問題にアプローチするための具体的な研究の方向について論じたが、その方向へ研究が着実に進展すれば、必ずその答が得られるであろうと私は信じている。
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