日本社会医療学会設立10周年
記念大会特別講演

「日本の医療をどうすればよいのか」
 高久史麿(自治医科大学学長・日本医学会会長)
於:九州保健福祉大学(2009年10月)
日本社会医療学会第10回学術大会
(「社会医療研究Vol.8(別冊)」2010年3月発行より転載)

 この学会にお呼びいただいてありがとうございました。水野先生から日本の医療をどうすればよいかという話をするようにといわれました。アメリカ人はジョークで始めて、日本人は言い訳で始めるのですが、私は日本人なので言い訳で始めさせていただきますと、わたしはずっと大学にいたものですから、教育とか医学の方は勉強していましたが、医療そのものの問題は私の分野外でした。ただ、今から5年くらい前だと思いますが、日本医学会の会長になってからだんだん医療の問題についても何か言わなければならないような立場になりまして、それから少し医療の問題について考えるようになりました。付け焼刃といいますか、にわか勉強ですので不十分なところが多いと思いますが、私の後に話される辻先生はまさしく医療の問題のプロであられますから、辻先生のお話の方が、本当は日本の医療をどうすればよいかということを考えるのにはいいのではないかと勝手に考えています。

 さて、現在の日本の医療が直面している問題はいくつもありますが、思い起こすままに並べてみますと、まず一つは御存じのように医師の数が足りないということがあります。次に医師の不足と密接に関係していますが、病院の医療が場所によってはかなり危機的な状況にあるという問題があります。これから先は少し専門的なことになりますが、日本の専門医制度にも色々問題があります。もう一つはプライマリーケア医、アメリカですと家庭医、イギリスですと一般医、日本では総合医と呼んでいる総合的な幅広い診療能力を持った医師が日本では少ないという問題があります。これも日本の医療が抱えている大きな問題です。この4つのテーマについて、本日は触れたいと思います。


日本の医師数は少ないのか

 よく言われますのが、日本の医師の数はOECDの平均に較べると2/3であるということです。(参考資料1を参照)人口1000人あたりの医師の数がOECDは3人であるのに、日本は2人である。だから医師を増やせという意見が最近よく言われるようになりました。よく見てみますとイタリア、ドイツ、フランスでは医師の数が多い。イギリスはブレア政権になってだいぶ増やしたのですが、それでもそんなに多くはない。アメリカも2.4くらいですから、日本より少し多い程度です。医師の数は特にEUの国で非常に多い。これにはいろいろな理由があるのですが、確かEUでは医師の1週間の勤務時間が、私の記憶に間違いがなければ47時間に制限されているという事情があります。それ以上の時間働けないということがあります。もう一つは、EU諸国では女医さんの数が非常に多い。イギリスは50%を超しています。日本は30%ぐらいですから。こういうことを言うと女性の方に失礼ですが、育児とかいろいろな問題で女医さんの稼働率が悪いという面があります。そういうことをいろいろ考えないといけないのですが、数字だけからいうと日本は確かにOECDの平均の2/3の医師数であるということです。
参考資料1
↑クリック拡大

 厚労省の医師の需給に関する検討会が、平成18年に報告書を出しています。その中で医師数全体の動向としては充足の方向にあると結論付けています。医師の数は、実際に、年間に3,500人から4,000人ぐらいは増えています。そうはいっても現場では医師が足りないということが前から言われています。そういうことから、この報告書に対して多くの人からクレームがつきました。しかし現実に平成18年くらいまでのデータですが人口10万人あたりの医師の数は着実に増えています。今、全国の医師の数は28万人位だと思います。(参考資料2を参照)
参考資料2
↑クリック拡大

 それではどういう形でドクターが増えているかといいますと、診療所の医師が増えているのです。以前から、病院の勤務医が病院を辞めて診療所を開業される方が多いということが話題になっていましたが、たしかに診療所、しかもベッドを持たない無床の診療所の医師が多くなっているということは事実です。しかし病院の勤務医の数を見てみますと、こちらの方もかなり増えているのです。病院の数そのものは増えていないのですが、ドクターは増えています。

 まとめてみますと、診療所の医師数の増加よりも、むしろ病院の勤務医の数の増加の方が増えています。大学病院の医師数も少しずつ増えています。それではなぜ医師が足りないと言われているかというと、それには診療科による偏在という要因があります。産科、救急、小児科、外科など特定の科目で医師数が足りない。もう一つは地域による偏在が医師不足の大きな理由です。それから女性医師の増加もありますし、患者さんからの要望が非常に強い、等々の様々な理由がありますが、一番大きいのは、診療科の偏在と地域の偏在であると思います。

 平成18年の厚労省の報告書では、医師数は増加する傾向にあると書かれていますが、平成18年の政府の「新医師確保総合対策」の報告では、医師不足の深刻な10の県でそれぞれ平成20年度から10年間医師養成数を10名上乗せすることが決まりました。この他、私が学長をしています自治医科大学は、平成20年度から定員を110名に増やしました。しかしながら、その後さらにもっと医学生を増やせという要望が出てまいりまして、平成19年には各都道府県で最大5名まで、北海道は15名まで医学生を増やすという方針が報告されています。又これらの学生には都道府県が奨学金を出しなさいということになりました。自治医科大学では、各県から奨学金を出して、医師になってから各県が指定する僻地で9年間勤務したらその奨学金を返さなくてよい、というシステムを取っていますが、自治医科大学の各県版というシステムを採用するということになりました。このことは朝日新聞に大きく出まして、僻地だけでなくて、産科や小児科に行く人にも奨学金を出しましょうという動きが出てきました。しかしながら、さらにもう少し医学生を増やせという要望が出てきまして、医学部の定員が更に拡大しております。医学部の定員が、今までしばらくの間は7,600人くらいだったのですが、一時期は医学生の数を減らせということを文科省が言ってこられまして、各大学では例えば120人の定員を100人にしたとか110人を100人にしたとか、ずいぶん減らしたのですが、今度は増やせということで、今年の話ですが全国で8486人に増やしたわけです。そうしますと、大体800人以上増やしているわけですね。わが国の医科大学の平均学生数は100人ですから、8つの新しい医学部を作ったと同じくらいの程度に増やしたということです。


どのような医師を育てるかが大切

 さらに平成20年、そのころ舛添さんが厚労大臣だったのですが、厚労大臣の委員会で「安心と希望の医療確保ビジョン具体化に関する検討会」が設置されまして、私はこの座長をさせられたのですが、このときに大臣の強い意向で、将来的に50%程度医師を増やすことを目指すべきであるという報告書になりました。また民主党政権になりまして、医師養成数を今の1.5倍にすべきであるということをマニフェストに書いていますので、まだもう少し増えると思います。来年も、文科省の方針では各県に7名ずつ、地域枠を増やすといっています。ただこの委員会では何度も議論を重ねましたが、時間が短くて、日本の医師の数がOECDの中では26位で低いとか、また先ほど申しましたようにOECD諸国に比べて人口当たりの医師数が2/3であるから医師数を増やすということだけが強調されすぎた面があります。リー医師、京都大学の韓国系の医師だと思いますが、その方が、この検討会の議論の中で「どのような医師を育てるか」という議論があまりなされてなかったことを指摘しておられます。それは事実です。先ほど言いました各県で5名奨学金を出して、各県の出身の人を優先的に医学部に入れるという地域枠の取り組みがあります。たしかに出身県の人を医学部に入れて奨学金を出しますと、卒業した後、何年かその県で勤務する可能性は大きいと思いますが、医師の数だけ議論をして、診療科の偏在のことは全然議論されてないままに、数だけを増やすということになりました。どのような医師を育てているかという議論があまりされなかったということが、問題として残っています。

 英語で申しわけありませんが、これは今年の5月のCNNのコメントですが「America needs more primary care doctor.(アメリカはもっと多くのプライマリーケア医を必要としている)」ということが言われています。アメリカの人口当たり医師数は2.4ですから、日本より多いのですが、そのアメリカでも足りない。どんな医師が足りないかというとプライマリーケア医がアメリカでも足りないということです。その理由は日本とは違いますがプライマリーケア医が足りないということがアメリカでも言われています。専門医は十分足りているということです。

 イギリスはブレア政権になりまして、医学生の数を1.5倍にしました。ですから今の民主党のマニフェストと同じですね。これは咋年にBritish Medical Journalという非常に権威のある雑誌に載った論説ですが、イギリスの場合、アメリカの場合もそうですが、自分はこの分野が専門である、例えば眼科、皮膚科、内科、小児科、外科であるということを名乗るためには、日本は自由標榜制で勝手に診療科目を標榜できますが、欧米の場合には、きちんとした卒後教育を受けないと専門であると名乗れないことになっています。しかし卒後教育の定員が限られていますので、イギリスの場合急に学生を増やしたために、卒後教育を受けられない学生が1300人も出てきたということでした。こういう人たちをどうするのかということが問題になっていました。ですから急激に医学生を増やすといろいろな困難が起こってくるのではないかと私は考えています。


病院医療の危機

 もう一つ言われていますのが、病院医療の危機ということです。このことは皆さん方ご存じの通りです。私が働いていますのは栃木県の小山市に近い大学ですが、その周りのいくつかの病院も医師が足りなくなったということで、一時期潰れかかったということがあります。病院医療の危機が、特に地方で起こっていることは事実です。病院医療の危機についても様々な理由があるのですが、ある私の親しい方がアメリカの医師と話された時に、「日本の診療報酬は適切か」と聞いたら、その米国の医師は「クレイジーである」と言ったのですね。どういう点がクレイジーであるかというと、医療費に占める外来部門の割合が非常に高く、一方病院の診察料が安すぎるのではないかということでした。わが国でも、今後少し病院の報酬を上げるという話が出ていますので少しはよくなるかもしれません。

 それから開業する病院勤務医が多い。特に中堅、40-50代の、その医師を目指して、患者さんが来ているような人が開業してしまうと、病院にとっては非常な痛手なのですね。ドクターもいなくなるし、そのドクターを信頼して病院にかかっていた患者さんも一緒にいなくなってしまいます。病院勤務医が開業する理由の一つに、仕事が多すぎるということがあります。インフォームドコンセントの問題もあります。診療内容等について、最近は全部書面でもって患者さんからコンセントを取らなければならない。それからもう一つ、医療の安全が強調されるようになって、各病院にリスクマネジャーを置かなければならない状況です。病院の規模によってはリスクマネジャーの設置にある程度の診療報酬が付きますが、その額では到底足りない。しかし、各病棟にリスクマネジャーを置くようになっています。ナースが兼任する場合が多いのですが、ドクターが兼任するケースもあります。そういう人たちは、従来の医師としての診療に加えてリスクマネジメントにも随分時間をとられてしまいます。それからもう一つ患者さんからの要求というと失礼ですが、期待が非常に強いという面もあります。更に医療事故への不安であるとか、様々な要因があります。そうした要因が重なりまして、病院に勤務している医師のQOL(生活の質)が非常に低い状況になっています。例えば家族サービスがほとんどできない。

 日本医師会が勤務医を対象にした休日日数を調査していますが、1カ月の休日日数は、40%の人が1日から4日しかない。あるいは全然休めない人が8.7%いる、という結果が出ています。その調査の中で、必要な支援策も勤務医に質問していますが、最も要望が高かった項目は、「休みを取りたい」というものでした。少なくとも週1回は休みをとりたいという回答が90%。仮眠時間をとれる体制を整えてもらいたいとか、医療事故に対して個人の責任ではなく組織として対応してもらいたいとか、それから書類作成、要するにペーパーワークが多すぎる。もう少し医師としての仕事に専念させてもらいたい、という返答でした。

 そうした状況への対応策として、女性医師をもう少し活用する必要があるのではないかということが言われています。日本医師会の男女共同参画委員会の調査では、産前産後の休暇を取得しなかったという人が結構いました。取得した人でも完全に取得したという人は半分しかいませんでした。産前産後の休暇も完全にとれないという女医の状況があります。
これは少し前のデータですが、厚労省が2006年に病院の常勤医師の労働時間を調べましたところ、週の平均63.3時間で、残業が月に100時間という結果でした。この状況下で死んだら過労死になるという結果が厚労省のデータでも出ています。最近はアメリカでもレジデントとして働いている若いドクターの勤務時間を制限するという動きが出ています。その前まではレジデントは非常に忙しかった。当直明けに続けて働くというケースもよくありました。そういうレジデントに、自動車のシュミレーター運転をさせたところ、酒を飲んだ時と同じくらいに非常に不安な運転をするということが分かりました。睡眠不足のレジデントは医療事故を起こしやすいというデータはたくさんあります。私の大学に航空関係の仕事をやっておられた河野(龍太郎)教授がおられまして、医療安全関係の仕事をやって頂いていますが、河野教授が横浜市立大学の患者さん取り間違え事件の時に医療事故の問題に関係されるようになって初めて医療の分野のことを知ってびっくりされたのは、当直をしてあまり寝ないで翌日外科の人が手術をするという状況のことでした。河野先生に言わせると、それはとんでもないことで、それは航空の世界では、ロンドンからジェット機を運転して成田についてそのまますぐにワシントンやニューヨークに運転するようなもので、事故が起こらない方が不思議だということをいっておられました。

 2001年のBritish Medical Journalに「Why are doctors so unhappy? (なぜ医者は不幸なのか)」という記事が出ていました。その理由の一つに為政者の愚策が挙げられています。ちょうどこの頃はイギリスの首相がサッチャー氏からブレア氏に代わった時でして、サッチャー政権は医療費をずっと抑制してきたものですから、その怨みもかなりあったのではと言われています。その他、事務的な業務量の増加、患者さんからの過度な期待や要求など、日本と全く同じ理由がイギリスでも挙げられていることをご紹介させて頂きます。


医師不足への対応

 なぜ医師が足りないかについては、診療科の偏在と地域の偏在の二つの要因も大きいと思います。特に今日問題にしたいのはこの中の診療科の偏在のことでして、例えば1996年から2006年における診療科毎の医師数の変化を見ますと、減っているのは外科と産婦人科です。他の科は結構増えている。それから平成18年のデータでは、若手医師が卒業後専門として選ぶ分野を調査していますが、一番減っているのは脳神経外科で、外科、小児科の分野が軒並み減っています。放射線科も減っていますが、放射線科がなぜ減っているのかよく分かりません。当直がない、患者が亡くならないという楽な分野の医師が増える傾向があります。

 私はたまたま読売新聞から何か書けといわれましたので、いま日本の外科医療が大変だということをご紹介したのですが、外科の場合になぜ大変かというと、一つは修練に時間がかかるということです。専門医として1人前になるまでの時間が、長いということがあります。更に内科医などよりも早くリタイヤしなければならないという問題があります。視力の問題や判断力、体力の問題などがあって、内科のドクターより早く第一線を退かなければならないという事情があります。それからもう一つ、訴訟が非常に多いという面があります。この3つが主要な原因となって外科医が少なくなっています。日本人は器用ですから外科手術が上手です。そういう外科医たちがいなくなると、外国に外科の手術を受けに行かなければならないということになります。これは日本人にとっても非常に不幸なことですから、外科医を増やさなければなりません。

 外科医や産科医を増やすために、外科医の給料、産科医の給料をよくすればよいではないかと考えがちですが、実際に本人たちに聞くと、給料はもちろん多い方がいいに決まっていますが、むしろもっと時間が欲しい。家族サービスがしたいとかいう要望の方が強いようです。ですから、病院がより多くの外科医や産科医を雇えるような状況にすることが重要です。そうすると医師にも余裕ができて、外科の希望者や産科の希望者が増えてくると思います。小児科ではそういう例がいくつかありまして、住民の方々が小児科医を守ろうということで、いわゆるコンビニに行く感覚で小児科に行かないようにして地域の病院の小児科を守ったという例があります。あまり苛酷な勤務をしないで済むような状況にしないと、外科や産科医は増えないのではないかと思います。そうするためには病院の収入、入院基本料をもう少し上げてもらわないと難しいと思います。

 GDPに占める医療費の割合を見ますと、日本は8.2%ですが、ヨーロッパ諸国ですとGDPに医療費が占める割合は概ね10%くらいですので、そこは考えてもらう必要があると思います。(参考資料3を参照)以前はイギリスの方が日本よりも医療費が低かったのですが、ブレア政権になって医療費を増やしたので先進国の中で日本の方がもっと低くなったという状況があります。
参考資料3
↑クリック拡大

 専門医制度は昭和37年の麻酔科から始まり、以後ずっと拡大しており、今は70くらいの分野の専門医ができています。何故そんなに専門医が増えたかと言いますと、平成14年に、一定の規準を満たせば専門医の看板を出すことができるということになりまして、各学会が一斉に専門医の制度を始めました。私が日本医師会の学術推進会議の議長をつとめた時に「我が国における専門医のあり方」という報告書をまとめました。その中で、日本の専門医制度をもっときっちりする必要がある、専門医の基準をきっちりと決めるとか、専門医に対して診療報酬上の特典を付ける、等々様々なことを提案をしました。また、第三者機関を作って、そこが専門医の数や質を認定していくような仕組みが必要だというようなことを提案したのですが、専門医についてはいろいろと問題があります。


日本でも総合医が必要

 もう一つ、日本の医療の問題点は、プライマリーケア医や家庭医と言われる、要するに幅広い診療能力を持ったドクターが日本には少ないということがあります。R Harsha Raoという、アメリカのピッツバーグの大学の教授が何年間か慶応大学の医学部で教えられていたのですが、その時に彼がいろんなことを言っています。まず日本の医療の問題点として医師の技術を評価しないこと、大学病院などの総合病院に患者が集中して総合病院が本来の業務が果たせなくなっていること、それから家庭医よりも専門医の方が偉いと評価されているということ、そうしたことが大きな問題であると指摘しました。

 これは非常に大問題でして、プライマリーケア医の方が幅広い診療範囲をカバーしなければならないですから、ある意味では専門医よりもっと大変です。たとえば心臓の専門医なら心臓の病気の患者さんだけ診てればよいのである意味では楽だと思いますが、まだ日本ではプライマリーケア医よりも専門医の方が偉いという風潮があります。特に一部のマスコミで「神の手」というような特集をやったものですから、新聞でもテレビでも、神の手の報道を見ると、何となく専門医の方が偉いのではないか、という風潮になってしまいがちです。しかし、最近の若い医師がプライマリーケアに興味を持ってきていることは事実であり、期待しています。

 それから、患者さんが何の病気かと推論する前に、日本の医師はすぐ検査をする傾向があります。検査の対費用効果、すなわち、これだけの検査をするとどのくらいのコストがかかってどのくらいのメリットがあるのか、そうしたことがあまり考えられない傾向が日本の医療にあります。実際、私の大学のアメリカ人の教授で、今医学教育に関係している方ですが、彼が言うのには、日本の医学教育の中で一番欠けているのは「臨床推論」であると言っています。臨床推論とは何かというと、患者さんの訴えを聞いて、どういう病気であるかということを医師が議論しながら考えるということです。日本の場合、患者さんが「胸が痛い」というと、すぐレントゲンを撮りましょう、心電図をとりましょう、あるいはCTや超音波エコーをやってみましょう、ということになってしまいます。その前に少し考えて推論すること、それがプライマリーケアの基本なのですが、日本ではその訓練が非常に欠けているということです。

 プレゼンテーションの問題もありますね。先ほどご紹介したRao教授が言っていることは、日本の状況を見てみると過去は非常に立派な実績があった。例えば2000年のWHOのワールドヘルスリポートで日本の医療提供体制は一番だと書かれていまして、そのときアメリカは16番だったのです。しかし、現在はトンネルビジョンという状況に陥っている、要するに日本の医師は自分の専門のトンネルしか見ていないのだということを指摘しておられます。問題を非常に狭いフォーカス、自分の興味のあるところだけにフォーカスを当てて診ているという、そういう問題ですね。


日本の医療保険システムを維持しよう

 少し専門的ですが、Tragedy of the Common (トラジディーオブコモンズ)という考え方があります。要するに、一つの限られた牧草地なのに、例えば製薬メーカー・器具メーカー・患者・医師が、先ほど申し上げました費用対効果ということを考えずに、勝手に羊を放って食べてしまう状況です。そうすると結局は牧草が枯れていってしまいます。これをトラジディーオブコモンズと呼びますが、まさにコモンズというのが日本の医療保険システムでして、それは優れたシステムですが、医師も患者も費用対効果を考えずに勝手に食べていってしまうと、医療保険が破綻するということです。

 最後に、先ほど2000年のWHOのワールドヘルスリポートでは日本の医療体制は一番だと、しかしながら今はいろいろ問題はあると言いましたが、今年の9月28日のヘルスリポートに、カナダのカンファランスリボードが様々な国のヘルスケアシステムを調査した結果が載っております。この論文は、カナダが10位でアメリカが16位でカナダの方が良いということを大きく取り上げていますが、全体のランキングを見ますと、やはり今年の9月でも日本のヘルスサービスシステムがナンバー1であるという結論なのです。私自身、日本の医療提供体制は今でもやはり、いろいろな問題はあるけれども、世界的に見るとまだ良いのではないかと思っています。しかしながらこの体制を維持するためにはやはり多くの工夫が必要ではないかと思っています。

 ちょうど時間がきましたのでこれで終わります、ご静聴どうもありがとうございました。

(「社会医療研究Vol.8(別冊)」2010年3月発行より転載)
↑このページの先頭へ