日本社会医療学会設立10周年
記念大会特別講演

「医療制度改革が目指すもの」
 辻 哲夫(東京大学高齢社会総合研究機構教授)
於:九州保健福祉大学(2009年10月)
日本社会医療学会第10回学術大会
(「社会医療研究Vol.8(別冊)」2010年3月発行より転載)

 ただ今ご紹介いただきました辻でございます。今日は私が敬愛してやまない水野先生にぜひ来なさいということで、やってまいりました。しかも、わが国医療界の大御所中の大御所である高久先生の次にこうしてお話しさせていただくことを非常に名誉に思っております。この素晴らしい第10回会合において私からは、いわば行政から見た医療のあり方、私は行政官でしたのでその角度からお話をさせて頂きたいと思います。


キーワードは高齢化

 医療を取り巻く環境というのは、キーワードは高齢化なんですね。高齢化の対応については、この20年間が勝負だろうということを申し上げたいと思います。勝負というのはこの20年間に大きな変革をしなければならないだろうということです。

 高齢化率は今概ね20%で、2030年には30%、2055年にはなんと40%になっていくと見通されております。2055年の予測はともかく、20年後に30%というのは確実でございまして、特に高齢者が増えることによって高齢化率が増えるというのはこの20年のことなんですね。

 参考資料1をちょっと見てもらいたいと思います、言葉の評判が悪いですが後期高齢者、すなわち75歳以上人口が1100万から1200万に、2005年から見て増えております。65〜74歳人口はもう一緒なんですね、高齢者人口としてはここで概ね横ばい。後期高齢期というのは、個人差はもちろん大きくありますけれども、一般的には心身が虚弱になると、人間が生物である以上虚弱になっていく年齢と国際的にも認識されておりまして、この絶対数の面積が参考資料1のように上へ膨らんでいくというのは、これは大変大きな変化です。私は団塊の世代で、生きておればこの時82歳でこの人口の大きなグループに私自身も入る訳です。
参考資料1
↑クリック拡大

 この高齢者の高齢化に対してどのように日本の医療福祉は対応していくのかということが問題になります。私は行政官でしたが、20年というのはあっという間ですね。20年前というのはちょうど介護保険の準備を始めたころでした。それでちょうど21世紀の初頭をイメージしてこうじゃないかああじゃないかといって介護保険ができて約10年経ったわけですけども、まるで特急列車に乗っているようでした。たったその20年で今後こういうことが起こるということを私は行政経験者として脅威に感じます。そこで高齢化にどう対応するのかということでございます。しかも増加する人口は大都市で起こるということが確実であります。地方においてもその中の都市部で高齢化するということであります。延岡でもこれから高齢化するのではないでしょうか。要するに日本の高度成長期に移動した人口がこれから後期高齢者になっていくということです。したがってこれから20年の日本の高齢化というのは都市の高齢化だということになります。もちろん地方の高齢化についてはこれでよいのだというわけではありません。施設の整備を相当、地方部・郡部は終えてきているわけでございますが、都市の方は整備がまだ終わっているとは言えません。本当に施設の整備ができるのか、それから、施設のケアだけでこれから本当に良いケアなのか、ということは大きな問題であります。都市部の高齢化に対して日本のケアシステム、要介護状態に対するケアシステムの日本におけるあり方がこれからさらに問い直されるという状況にきております。

 端的に言えば、これまでは困った方、困った家族を含めて、困った方をどこかで預かるということで対応してきました。どこかで預かるということを都市でやりきれるのかどうかという問題があります。そしてどこかで預かるということでよしとして済むのであろうかということも問題になります。それが本当に高齢化社会の姿であろうかと、そういう大きな問題を考えていかなければならない時代をこれから迎えることになります。

 もう一つ非常に大きな事実は、病院死亡率なんですけれども、戦後は1割強ぐらいの方が病院で死亡して大部分が家で亡くなるという状況でした。自宅で亡くなるのが普通の人間としての営みであると考えられていて、おそらく少し前までの歴史でそういう状況でしたが、戦後、おそらく日本史始まって以来と言っていいでしょう、医療機関で亡くなる方の割合が一直線に増えて今は80%を超えている状況であります(参考資料2を参照)。これは国際的にも、例外的にカナダの医療機関死亡率も高いんですけれども、私が見た限りではまことに異例の数字でありました。これは医療費がどうこうという問題の前に、それが幸せなのかということがこれから社会全体の大きな問題として語られるようになるであろうと私は予測しています。生老病死というその人間の定めの中で起こることについて、医療機関で、すなわち基本的には病院は死との戦い、いわば戦場であるといっていいと思いますが、そういうところで死亡していくということが幸せなんだろうかと、そういうことが議論される時期が近づいて来ていると思います。
参考資料2
↑クリック拡大


死亡数の増加も大きな問題

 年間死亡数の増加も大きな問題です。私はこれをどういう風に社会に訴えたらいいのだろうかと思い、行政官をしております時にグラフにしてもらったのですが、年間死亡数は昭和の時代には概ね80万弱で推移していたのですが、平成に入りましてからものすごい超スピードでジェットコースターを逆に上がっていくような勢いで上がっていきまして、統計の最新数値では110万ですが、今後おそらく170万弱になっていると思います(参考資料3を参照)。それでこの大きなポイントは昭和40年頃には75歳未満の死亡と75歳以上の死亡を比較すると、75歳未満が2/3、75歳以上が1/3だったんですね。それが今は、75歳未満が1/3で、75歳以上が2/3になっております。あと20年経つと、75歳以上が3/4、75歳未満が1/4となります。今75才未満の死というのは若死にですね、平均寿命よりも若い時期ですから。75歳以上の現実の老いの姿というのは80、90という年齢ですけれどもそれで亡くなる方が、4分の3以上になるという時代がやってきます。老いて虚弱になって死んでいくというのが大部分の方であるという状況です。ピンピンコロリ、すなわちPPKは水野先生がずっとがんばって提唱していらして、私もそれを目指したいですけども、現実には慢性疾患が中心の疾病構造のもとでは、相当部分の方が、私が調べた状況では大体男性の7割、女性の9割は徐々に弱って死ぬことになるんですね。男性の1割は90ぐらいまでずっと自立を維持できるというグループがありますが、女性は徐々に弱っていくという方が大部分です。大部分の方が徐々に弱る、虚弱になって死に至るということですから、このプロセスで医療福祉に対する需要がこれからものすごい拡大を続けていくわけですね。それに社会がどう対応できるかと、そういう話でございます。
参考資料3
↑クリック拡大

 それで考えてみますと、私はこうした状況と向きあい続けて改革にも携わったんですけれども、こうした姿そのものは日本の経済成長あるいは経済発展の成果だと思うんですね。栄養水準が上がり、なおかつ素晴らしい医療技術が進むと、そしてそれが医療保険制度を通して国民全体に浸透する、そしてみんなが長生きする。したがって経済発展の成果ですよね、もしそれが、本当に年取るのが怖いとどうなるのでしょうか。弱るのも怖くなると、もしそういう社会であれば経済発展というものがよかったのだろうかということが問い直されるような時代になることさえありうるということで、非常に大きな対応が必要です。


健康と自立の維持が大切

 さらに超高齢社会の姿はどういうことかと申しますと、認知症の方が増えるということですね。75歳、80歳、85歳と大体5歳刻みぐらいで認知症の発症率が倍化していきますので、ワクチンが開発されようとしていると聞いていますが、それにしても高齢障害者というと認知症を持っているという様相がより深まってくるということであります。

 それからもう一つは、2025年で大体4割近くが1人暮らし、3割が夫婦のみ、他世代と同居するのが3割と日本はまだ高いですけど、基本的には高齢者だけの世帯、あるいは1人世帯という状況がさらに予想されており、これは相当大変なことでございます。結論はですね、高齢者は元気ということですね。高齢者が増えても怖くないじゃないかということであります。元気で頑張れれば、素晴らしい経験を持った人が増えて素晴らしい世の中になるのではないかと思っています。私はこれは本当に基本だと思います。したがって基本的には皆ができる限り健康でそして自立を維持して、いきいきと過ごしていく社会を目指すということが重要になります。これが高齢社会のメインロードですね。しかし人間は今のグラフが示したように必ず死にます。したがって死に向かって虚弱な期間を迎えるということも大部分については事実であります。したがって、弱ったときの対応をどうするか、わたしは弱ったらおしまい、弱った人に何かをするのは無駄なことだ、というのは間違いだと思います。

 私もこの年になってまた夫婦二人の親4人のうち3人を見送りましたが、弱っても喜びや悲しみはいかなるものか、その時にこそ人生の喜びというものが味わえる、そういう社会であってほしいし、弱ったときに心を閉じて虚しくなるというのはいかがなものかとしみじみ思います。要するに、そのときに如何なる生があるかということを真剣に考えるべきだと私は思います。私は20年間高齢化と向き合ってきましたけれども、ケアシステムの方で非常に大きな発見をしたんです。ひと言で言いますと、大規模な多床室、6人部屋などベッドがたくさんある部屋です、そういうところで高齢者をケアするとむしろ弱っていくということです。特別養護老人ホームの関係者の言葉を借りると「施設は人を弱める」と、そういうことが分かったわけです。そして一方において、基本的には個室生活をしているわけですけども、個室で自分の生活を持ち、そして必要な時には共通空間に出ていくというような、今までのようなライフスタイルを維持させると自立が維持できるのです。これは、特別養護老人ホームをユニットケアという形態で1人部屋にして、ユニットごとにグループを作って自分たちの生活を維持できるようにすると、会話の量も、歩く歩行数も増えたんですね。

 そして極めつけは宅老所というものでして、これは福岡の寄合というのが有名で、私も見てきましたが、寺の境内に7、8人ですけども下宿屋的な建物がありまして、そこで思い思いに一緒に住んで、昼間は共通空間で一緒に生活して、本当に絵に描いたようなシーンなんですけどもケアワーカーが座っていて、お年寄りが膝で寝ていて、もう一人のお年寄りがそのケアワーカーの肩をもんでいるというシーンがありました。これは日常性そのものです。そして全員が何らかの役割を持ちあっている。そうすると、思い思いに高齢者が落ち着いていくんですね。かつては回廊型といいまして、わたし20年前に老人福祉課長をやっていましたけども、ぐるぐるぐるぐる施設の中を歩いてくださいという廊下の形がありました。そしたら疲れてくださるんではないかと、こういうことをやっていた。しかし解決はしませんでした。実はその人の日常生活を享受できるような疑似日常性を作ったときにその人の生活の不安がなく過ごせるということだったんですね。

 認知症も、今では「問題行動」と言ってはいけないと、「行動障害」と言っていますが、徘徊とか譫妄とか周りが混乱するような行為がなければかわいいおじいちゃんでありおばあちゃんであるということです。そのような状態がすべてとはいいませんが、できれは地域の中でその人らしく共に生きられるような環境をつくる社会である方がよいということが、日本でも確認されたわけですね。これは非常に大きな事実でありまして、私自身は厚生労働省でずっといろんな仕事をしてまいりまして、老人福祉課長のときは特別養護老人ホームを思い切って作ろうということに携わったこともありますけども、正直言ってこれは特養自体が悪いわけではないですが、そういう集団的な生活に自分自身が行くとしたら嫌だなあと正直思っていました。今言ったような全員が自立できるようなシステムでは、お世話するケアワーカーにも達成感があります。知的障害者とか障害者自身もそのような生活スタイルが一番いいわけです。


地域社会に暖かい風を

 大きな施設で集団生活していると自立度がどんどん落ちていきます。だけど自分の生活が維持できて、自分の生活を作ろうとする環境に置くと自立度は増してきます。私が発見したことは皆さんもご経験があると思いますが、そういう地域社会の環境ができている時には温かい風が吹くんですよ。これは言葉ではこれ以上の表現はできないですけれども。それを私が自分なりに考えるのは、弱い人と強い人がともに生活をする、何らかの形で空間を共有しているからです。強い人同士ではなかなか助けあいは起こらないですよね、でも弱い人と強い人が一緒だとお互い助け合うんですね。そこにやさしさというものが出てくる、温かい風が吹く。それを私は自分の体で感じました。そういうようなことを日本はこの20年間で社会的に発見していったと言っていいと思います。ケアの構造論からいえば「生活の継続性」とか「自立の尊重」とか「社会性の維持」とかこういう言葉でいわれますけども、まったくその通りですね。そういうようなことが日本でも最前線では確認されまして、先の介護保険ではまさしくこの方向が明確に方向性としては出されました。私はとてもいい改革だと思います。

 これは当時の中村老健局長が一生懸命進めた改革なんですけれども。それで元気ですとか、自立を目指して介護予防を進めようということであります。昔は寝たきり予防と言っていましたけれども、私もその当時寝たきりはしょうがないものと思っていたんです。しかし、寝たきりは予防できるんだということが分かりました。寝たままにしているから寝たきりになってしまうということです。今は寝たきりというのは要介護4とか5ですね。今は寝たきり予防を要介護1あるいは要支援よりも手前で止めようということになっております。徹底した予防の思想ですね、これは正しい。元気を維持することが重要であります。それにはどうしたらいいかといいますと、ものすごくシンプルなことでして、体力をつける、口と歯の健康を守る、健康的に食べると。そして次に、一言でいえば、出掛ける。外に出る、これが介護予防です。人間が人間としての基本的な動きです。食べる、動く、そして外へ出る、このことが繰り返せる状態が介護予防であります。これは逆に言えば、閉じこもりの予防でもあります。したがって薬を投与するとか治療するというよりも手前の概念として、人間はしたいことがあり、食べたいものを食べると、こういうものを如何にシステムとして支援するかということが重要な予防政策としてなってきたということです。

 もう一つは地域の問題があります。最近、地域包括ケアといっていますが、地域でその人がその人らしく、今までの生活スタイルを延長できる環境を作っていくという発想が大きくなっております。これは大きな発想転換なんですね。弱った人をどこかに連れて行って保護するのではなくて、弱った人に自宅のような環境でその人のライフスタイルが維持できるように、通常は小規模で家庭的な環境、小規模多機能というシステムを作っていくということです。それから施設に入る人についても、グループホームといった居住系の住まい型のシステムを作ることが重要です。こういうシステムをあらゆる地域に埋め込んでいこうという方策が出されております。そんなこと言っていられない、大部屋の施設でもともかく必要だという考え方もありますが、私は過去の20年の歴史を振り返って、この新しいシステムが正解だと思います。それが財政面でできないのなら、必要な財源を入れるべきであって、財源がないからそれでいいんだというのはジェットコースターを逆に上がっていくようなことで、そうした社会の作り方は、私は失敗すると思います。


目指すべき医療の姿

 そして、では医療はどうかということでございます。医療は今回の改革の入口は残念ながら医療費を適正化するということでしたが、ひと言で言って、医療費を抑えることには限度があるということであります。今回の改革は、どうして医療費が伸びているのかということに焦点を当てて、それが「健康でみなが幸せになってそれで医療費が適正化できるんだったらそれはやろう」というやり方を採ったんですね。わが国の受療構造を見ますと、40歳くらいから生活習慣病系といわれる病気が増えていって、投薬が始まるわけですね、そして75歳くらいから急性増悪していろんな入院受療が増えていく、という構造になっております。ですから、高齢化に伴って医療費が増えるのは当たり前のことなんですね。それにどう対応するかということですが、結論からいうと、ひとつは生活習慣病予防であると思います。いろいろな病気がありますけれども、がんも生活習慣病であります。タバコをやめるといった予防が可能ですけども、がんはやはり早期発見、早期治療、質の高い治療が必要になります。明確に前から分かっていたんですが、生活習慣病は一次予防が可能です。最近有名になりましたが、内臓脂肪症候群、すなわちメタボリックシンドロームという概念があります。これは要するに、内臓脂肪から出る分泌物が血管内の代謝の不調を来たす、そして血管が傷んでいろんなトラブルが起こってくるということであります。では内臓脂肪症候群を予防するためにはどうすればよいかといいますと、内臓脂肪をコントロールすればいいということです。それは一つはダイエットで、歩けばカロリーが消費され、しかも筋肉を動かすと代謝が順調に進むらしいです。したがって、私どもとしては、「一に運動、二に食事」を処方箋としたんですけども、それをやれば参考資料4の2つ目の箱の病気を発症する手前でコントロールできるということなんですね(参考資料4、参考資料5を参照)。
参考資料4
↑クリック拡大

参考資料5
↑クリック拡大

 内臓脂肪症候群が進むと、2つ目の箱の病気が進行し、あるところで急性増悪し発症することがあります。3つ目の箱ですね、そこで頭に出たら脳卒中、心臓に出たら急性心疾患、目に出たら失明というように、血管が壊れていわば大変な医療費がかかる病気になってしまい、同時に生活の質がゴトンと低下して要介護になるということであります。したがって、2つ目の箱の病気に行かないようにすること、3つ目の箱の病気に行くのを遅らせるか行かないで済ませること、このためには基本的には1つめの病気から2つ目の病気に行くのを予防すること、こういう政策を国を挙げてやるという方向にしたわけでございます。その要諦というのが「一に運動、二に食事」ということです。今の薬というのは、例えば糖尿病については血糖値をコントロールすることはできますが、代謝の不調を根治する薬はないので、「一に運動、二に食事」という処方箋しかありません。

 運動と食事で予防するということは、単純なことなんですが、私は世紀の新薬だと思います。薬を飲むというだけでなく、歩く、それと適正なダイエット、その二つを組み合わせるというのは、病気にならないための大処方箋です。ですから、これを社会のシステムとしてその処方箋をどう適用するかということを考えなければなりません。それによって病気の進行を予防することができますので、高齢期における医療費適正化に相当大きな効果があるはずだと確信しています。もちろん、これからデータで検証しなければなりませんが。


人間の幸せのために生活習慣病予防を

 ただし、医療費を減らすために生活習慣病を予防するわけではありません。あくまでも人間が幸せになるために生活習慣病を予防するということであります。その結果、医療費も減るだろう。これが今回のロジックでありまして、やはり病気の進行を前もって食い止めることに越したことはないというのが基本的な今回の改革のロジックであります。

 その方法は、基本的に特定検診、特定保健指導というハイリスクアプローチが非常に脚光を浴びていますが、実はポピュレーションアプローチも非常に大事だと思っております。私は以前ある折に高久先生から、「ポピュレーションアプローチはどうなってるの」と聞かれたことが忘れられません。ポピュレーションアプローチといいますのは、地域で生活習慣病に関する知識を浸透していくこと、専門職が今私が申しましたロジックを理解してそれをいかに地域住民の生活に適用していくか、歩くことと適正なダイエットで体重をコントロールしていくか、そうしたことを快適に行っていく、そういう地域を作ろうという地域啓発ですね。例えば、保健師さんに「あなたこれでは大変ですよ。こんなことをしてたら大変なことになりますよ」と言われても、地域でポピュレーションアプローチがないと、「でもあの人もお酒飲んでるじゃないの」ということになってしまう。もし地域でポピュレーションアプローチがなされていれば、保健師さんの話を家に帰ってすると息子さんから「お父さん、太るってすごくこわいらしいよと学校で教わった」と言われたり、奥さんから「地域の勉強会で太るのはこわいと学んだので、気をつけてね」と言われることになって、これは相当、特定保健指導の効果が違うと思いますよ。要するに地域の皆が学ぶということです。それとパッケージで特定検診でハイリスクグループの人たちを見つけて、その人に適切な処方箋を適用すると、こういう政策でございます。

 それでも人間は弱るわけであります。長期入院というのは医療費の中で非常に大きなものでして、本当にそれでいいのかという話があります。平均在院日数の長さというのは老人医療費の増加に非常に寄与しておりますけども、結局、急性期、回復期、療養期、在宅療養という、いわば生活の場に戻るというシステムを社会的に作ることができれば、長期入院を減らすことができて医療費が適正化されると思います。もちろん、在宅医療が幸せであるということが前提ですが。そういうことが政策として言えるようになったのは、介護保険を導入して、介護システムができたからですね。介護システムができないと、在宅医療というのはこれからの一人暮らし世帯が多い世の中ではできません。


在宅生活を支援するシステムが必要

 医療のあり方につきましては、「医療機能の機能分化と連携」と私どもは言っておりますが、機能分化を進めることが重要であります(参考資料6を参照)。例えば脳卒中であれば、急性期の手術、急性期直後のリハビリ、そして高齢者の場合は回復期のリハビリ、さらに通常の生活に戻ったときの生活力を付けるための生活リハの機能、こういうものを全部つないで生活の場に戻すということが求められます。それから在宅というのは、必ずしも自宅、家族という意味だけではありません。これからは、ケア付き住宅ですね。グループホームもそうだしケアハウスなどもそうですが、ケアが付いている住まいも含まれます。在宅というのは家族がケアしなければならないという意味を超えた生活の場という意味でございます。そうした場にいかに戻ってくるようにするかということが大切な視点になります。
参考資料6
↑クリック拡大

 さきほど、病院機能の機能分化と連携、医師不足の問題などを相当克明に高久先生が話されましたが、一つは病院を重点化して勤務医が安心して働ける環境を作るということが必要になります。病院の重点化、集約化というのは医師確保策としても重要です。医療機能の機能分化と連携という形で、今は総合病院よりも脳卒中なら脳卒中、がんならがんといったようにきちっとした機能ごとに集中化させていくということです。こういう病院の再編成の方向に進んでいるのですが、必要な時だけ病院に行ってまた帰ってくるという循環機能ができないと、病院機能の再編成というのはなかなか難しいと思います。要するに、日常の生活の場で暮らし続けるというベースに対して、医療機能・介護機能が支援するという、ここのところが日本でできていないというのが最大の問題なわけです。これは「難しいですね」ということでは済まないと思います。地域連携クリティカルパスとか退院時ケアカンファレンスとかが今後、システムとして必要不可欠になります。病院と病院を繋いで急性期に入ったら次はここに移って、今度在宅の場に帰る時には退院時ケアカンファレンスでみんなで話合いましょう、という取り組みに診療報酬が付いていますが、今後さらにきめ細かに対応するとよいと思います。地域によっては本人・家族が望めば看取りまで行うという在宅医療は今でも日本にはあります。しかし、一般には到底普及していない。これをどうするのかということでございます(参考資料7を参照)。
参考資料7
↑クリック拡大

 基本的には、今後の在宅医療の鍵の一つは、バックアップ機能ですね。急変時には入院できるという体制を維持する必要があります。高齢者の場合は肺炎の発症が多いと言われていますが、こうしたことに対するバックアップ機能を持っていないと高齢者が安心して自宅で過ごせない。けれども、肺炎の治療が終わったら生活力を落とさないですぐ病院から自宅に戻すという仕組みが必要です。肺炎は治ったけれども、廃用症候群になったということでは困るわけです。そうするとそのお年寄りは地域で過ごせないわけです。その地域からそのお年寄りは消えるということです。それは普通のことなんでしょうか。自分が住み続けた自分の生活空間から虚しく去っていくというのはあってはならない、と私は思うんですね。したがって、必要な治療が終わったら自宅にすぐ戻すことが不可欠になります。

 それからもう一つは、介護保険で介護系のサービスがきちっとできてきておりますが、薬局も非常に重要ですね。特にがんのターミナルケアにおいては非常に重要です。そして訪問看護、ケアマネージャー、介護サービス、こうしたサービスが介護保険系としては連携するようになってほしいと思います。

 それと在宅主治医、開業医、診療所ですね、こうした人たちがうまく連携できるかどうかというのが一つの鍵になるでしょう。主治医が1人では難しい。開業医さんは1人で24時間も対応できるかということはあります。そこで思考を止めるのではなく、いやいや24時間訪問看護と連携してるんですよ、主治医は主要ポイントだけやればいいんですよと言えるような仕組みを作っていく必要があります。それから、医師がグループ化することも必要です。このシステムを日本である程度普及させなければ難しいということが分かってきました。日本は「一馬力の開業医」と言われますが、グループプラクティスがないというのが特徴なんだそうです。従って、一馬力の開業医をいかにグループで連携化させるかということが大切です。

 今申し上げたような要素が地域社会には必要なんですね。これを地域で確立することはできるはずでありますし、旗振り役の人たちが頑張ってそうした仕組みを地域で作っている例もありますが、日本全体としてシステムとしてどう展開したらいいのかというのが見えないというのが今の現状でございます。私は結論からいうと、日本は横につなげるコーディネーターが全然育っていない、そのためのマニュアルもないということが大きな課題だと思います。私はいま東京大学におりまして、柏市という大都市でコーディネートのためのマニュアルを作るモデル事業に取り組んでおります。また、東京大学が中心となって、在宅医療の関係者間の連携の仕方ですとか、在宅医療独自の医療ノウハウというものの研修を行う方向で作業をすすめています。いずれにしても、この今の日本の弱点部分をブレークスルーする必要があるというのが私どもの見立てでございます。

 あと、もう一つ大事なのは、医療情報開示の問題ですね。要するに、どこにどんな医療機能があるのか。そしてそれをどうつなげたらいいのかということを住民が知る必要があります。入院したら後はなされるがままということでは、これからはよい医療は受けられません。どのような医療機関をどのようにつないで頂いたら自分たちは幸せになれるか、ということが住民レベルで議論されるような社会を作っていく必要があると思います。


その人らしい生活を地域全体で支えよう

 最後に申し上げたいのは、在宅医療の診療所と今言ったケアシステム、これが一つの有機体として、主体はばらばらだけども、機能としてネットワーク化するということが必ず必要です(参考資料8を参照)。国際医療福祉大学の高橋(泰)教授はこれを「医療福祉ハイブリッドシステム」と呼んでおられますけれども、本当にそうですね。地域住民の生活を維持するために、カチカチカチとつながる、そうしたシステムを開発することが、日本社会が医療に関して必要な大きなポイントです。
参考資料8
↑クリック拡大

 ホスピスで有名な山崎(章郎)さんが小平市で展開されているケアタウン小平では、一階はクリニックや今のハイブリッドシステムで2階から上は賃貸住宅になっております。そして都市部の高齢化は、集合住宅を立て替えて高層化すると空き地がでますので、そこにハイブリッドシステムを誘致していくということが考えられます(参考資料9を参照)。もちろんバリアフリーの構造にしていくことも必要です。そして基本的には、ここで急変時は入院しますけども、また戻ってきてここでがんばれると。こういう風なシステムを構想しているわけです。
参考資料9
↑クリック拡大

 私が申し上げたいのは、都市部はこういう対応をしなければおそらく急速な超高齢化に付いていけないだろうということであります。対応できないだろうということだけではなく、ケアのあり方としてもこの形が正解であろうと思っております。これがこれからのケアの基本形ではないかと思います。その人がその人らしく生活をし続ける、地域でそれを補完するという形ですね。その人がたまたまその地域には住めなくなったからどこかへ連れて行ってそこで保護するのではなくて、その人の持っている生活というものをいかに、そこまで暮らしてきた地域で続けられるよう支援するのかという発想に転換するのが超高齢社会のあるべき営みではないかと思います。そして、あえて言いますけども、それは優しい国をつくるということであると思うんですね。誰もが弱る可能性があり、大部分の方が一度死ぬ前に弱る。そういう社会において、本当にその人らしい生活を支え続ける社会を作るということですね。私はそれが高齢社会の課題だと思っております。基本的には、国際的にもそういう方向に向かっていると思います。

 先ほど高久先生がお話になったことの一つは、病院で勤務医が安心して働ける環境を作るということですが、地域で病院にいかなければならない人について、地域で総合医が診て、必要な時だけ病院に行くというシステムがもう一つどうしても必要になります。病院改革だけでは医師不足の対応はできないのです。私は高久先生のおっしゃる総合医、あるいは家庭医を育てるということをしない限り、病院だけで医師確保問題を解決しようとしても不可能だと思っております。そういう意味でも総合医、家庭医を育てるというのは時代の緊急の要請だと思います。そういうようなことを今進めよう、医学界でもそのような努力が続けられております。

 最後に1点だけ、日本の国民負担率の問題を述べます(参考資料10を参照)。本当に国民の皆さんがどれだけ負担しているかというと、税負担25%、それに社会保険料ですね、これを併せて対国民所得40%、アメリカは34.5%ですけれど若人の医療保険がありませんので、それを入れたら日本より高い。そしてイギリスが最近ちょっと高くなって48%、ドイツが51%、フランスが62%、スウェーデンが70%です。日本の高齢化は世界でもダントツで進んでいるのに国民負担率はこんなに低いという状況があります。スウェーデンはもうあのような高い国民負担率ではもたないんじゃないかとよく言われていましたけれども、国際競争力が世界トップ10以内に入って日本よりはるかに高くて、1人当たり国民所得も日本よりも高い。いろんな問題を抱えているということは聞いておりますけれども、皆安心して生活していることは確かのようです。
参考資料10
↑クリック拡大

 高い国民負担のお金はぐるぐるどこかで回っているんですね。したがって負担を高めたら国が滅ぶといわんばかりに言われておりましたが、これは事実ではありません。私も現職のときからそれを言い続けて、負担を上げるべきだということを主張し続けてきました。日本の場合は、負担を高めて安心できる生活を確保できれば消費も増える。そうすれば経済は回りますね、そして安心できるサービス事業、医療や介護事業が雇用を保証してくれるということにつながっていきます。実はスウェーデンも強い国際競争力を持った産業を持っているんですね。日本でも、企業の国際競争力を維持しつつ社会保障の負担を上げてお金を回すということは可能だし、それがこれからの国づくりだと思います。最後に言いたいのは、そうしたシステムを支えるのは全て人なんですね。今の在宅ケアシステムも、コーディネートシステムのもとで連帯して動くというマンパワーがなければできません。これからは、そういう方向へのコンセンサスを皆が持つこと。そしてそのもとで、様々な方が地域の中で連携していくこと、そういうことが課題であろうと思っております。

私の話はこれで終わります、ご静聴ありがとうございました。

(「社会医療研究Vol.8(別冊)」2010年3月発行より転載)
↑このページの先頭へ