[講演] 特別講演
これからの医療・保健・福祉
 武見敬三(東海大学教授)
宮崎・九州保健福祉大学(2007年10月)
日本社会医療学会第8回学術大会
(「社会医療研究第6巻」2008年3月発行より転載)

 私はこの「日本社会医療学会」という名称は、まさに今、私たちが医学・医療を考えるときに重要な視点を提供していると思います。実は今、先進国のみならず途上国を含めて、保健・医療を考えるときに、その社会的な要因というものについて、それがそれぞれいかなる疾患と関わりを持つかということをかなり詳しく分析することがひとつの流行りにもなろうとしています。2008年の1月15日から3日間、日本でWHOがSocial Determinants of Health、健康に関わる社会的な決定要因という会議を行います。これはまさに日本社会医療学会というものが目指す考え方とまったく同じものでございまして、今、国際社会で保健・医療を議論するときには欠かせない問題意識が、実はこの学会の中にあるというように思います。したがって、きわめて先見の明のある方がこの学会を組織されたのだというように思いますが、今日はそうした学会にお招きをいただきましたことを、私自身大変光栄に思います。今日は若い方々もたくさんいらっしゃいますから、保健・医療・福祉に関わる制度のところからお話をさせていただき、今、日本でいろいろな医療制度改革という議論が進められていますが、どういう視点からわが国の医療政策や医療制度改革というものを理解したらよいのかという点を、今日はお話させていただこうと思います。


○ハーバード式医療制度分析―武見の見解
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 「ハーバード式医療制度分析―武見の見解」というものがあります。医療制度を考えるとき、「コントローラー」といわれる政策のそれぞれに点数の図があります。財政的な観点は当然必要になりますし、それぞれ支払の仕組み、医療保険、制度、医療機関等の組織部分、それから法律や規定等での規制、そして実際に患者の行動や医師の行動に至るところの行動部分、これらをそれぞれ点数として捉えて、それを組み合わせて政策として実施していくわけです。そうすると、「中間指標」である予防やアクセス、質、効率というものが改善され、そのことによって、最終的に対象集団の健康指標や患者の満足度、そして制度としての持続可能性を保障する財政保障がそこで果たしてどの程度実現するかという「パフォーマンス目標」が分析されていくことになります。


○医療制度の中間指標について
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 このハーバード式医療制度分析の指標を、私は日本的に組み替えてみました。ハーバード式の中間指標は、「効率」と「質」と「アクセス」の3つだけでした。これに私はあえて「予防」というものを中間指標の中に入れました。アメリカの「質」の中には「予防」も組み込まれているのですが、日本の場合には医療という議論をするときに、いわゆる保健指導といったような健康政策に関わる部分は今まで分けて議論されてきたということもあります。あえてその部分だけを取り出して予防という中間指標を設定することが、日本の場合には政策を組み立てるときにわかりやすいだろうと考えて、3つの中間指標を4つにしています。
 そして4つにした上で、その優先順位として、まず特定の疾患に罹らないような「予防」を最初に考えよう。そしてもし残念なことに疾患に罹るということになれば、できるだけ安全に医療機関で診断治療が受けられるという「アクセス」がその次に重要になるだろう。そして実際に診断、治療を受けるということになれば、そこでの医学的医療の「質」というものができるだけ良いものであることが求められる。そして、それらを全体としてできるだけ効率的に行えるような仕組みを作ることを心がけるべきだろうと思い、優先順位として「予防」、「アクセス」、「質」、「効率」、このように私自身は組み立ててみました。ぜひ皆さん方も、こうした医療政策を考えるときに何が重要なのかということを考えてみてください。この「予防」「アクセス」「質」そして「効率性」、これらはいずれもこうした医療政策を考えるときに目標となる重要な指標となります。これ以外にもきっとあるかもしれませんが、それはぜひ皆さん方も考えていただければと思います。

1.予防
 まず「予防」に関しては2008年の4月1日から健康増進・特定疾患予防というものが始まります。これは40歳以上の被保険者を対象として行われることになります。この特徴は、医療保険の保険料を財源として、医療保険の保険者の責任でその特定検診、保健指導をするということになっています。今までは住民検診であるとかがん検診などさまざまな検診がありましたが、そういう検診については市町村で行っていました。ただしこれからはその住民検診が廃止されて、逆に保険者の責任で行う検診事業というものが新たに始まるということになります。その意味がどれだけ大きいかというと、今までは医療保険の保険料というのは病気になってからの治療を対象として、その保険料が財源として使われるというように制限されていました。ところが今回の医療制度改革では、病気になる前の元気な人たちもこうした検診等を当然受けるわけですから、そういう病気になる前の元気な人たちをも含めて医療保険の保険料を財源として予防を手がけてください、提供しましょうということで、それを予防給付といっています。まさにこの予防給付ということが今回の医療制度改革で初めてわが国で実現いたしました。
 このことの意味は大変大きいことです。なぜかというと、今まで地域医療というようないい方で議論をしていたときには、その地域医療の適用対象というのはやはり同じように病気になってからの患者さんたちが対象になっていました。ところがこの新たな予防給付が導入されたことによって、地域医療の考え方もその対象が大きく広げられ、病気になった方だけではなくて、元気な地域の住民もそのより広い地域医療の考え方の中で適用対象になったということで、新しい医療政策がここから始まるという点では非常に重要な意味を持っているといえると思います。
 特にわが国の生活習慣病、ご存じのように高血圧や糖尿病の患者というのは年々増加しています。そして従来の結核や感染症というもので、確かに進行感染症の脅威というのは常にありますが、しかし国内の疾病構造を見たときにその生活習慣病が非常に重要な位置を占めるようになったことは明白です。ただこの生活習慣病も遺伝的な要素が強いということがいわれているわけですが、同時に生活習慣を改めることによって、その疾病予防というものが可能だというように考えられています。つまり、できるだけエビデンスに基づいて、臨床効果の高い予防医学的なサービスをいかに効率的に地域の住民に提供するのか、このことがまさに地域医療と連携したかたちで医療政策の中でしっかりと議論されるようになったという点が、今回の医療制度改革の大きな特徴になっています。こういう観点での予防ということが、これからますます重要になるということをご理解いただきたいと思います。

2.アクセス
 2つ目の「アクセス」ですが、病気になったらなるべく早く近所のかかりつけのお医者さんで診てもらいたい、あるいは近所の耳鼻科のお医者さんや眼科のお医者さんでさっと診てもらいたいというと、日本の場合にはそれができます。しかし先進国の中ではかなり厳格にこうしたアクセスについて制限をしている国があります。たとえばその地域の中でかかりつけ医を登録して、まずは登録したかかりつけ医のところに行って最初の触診や治療を受けます。そこで必要と認められたときに専門的な医療機関に紹介されて、そこで専門的な治療を受けることができる、こういう制度を取り込んでいる国がいくつもあります。これは実は医療費を抑制するために最もやりやすいやり方です。ただ他方でこれをやりますと、患者さんの立場、あるいは国民の立場からすれば、医療機関に行くにも制限が当然そこで問われるわけですから、今までのように整形外科のお医者さんに行ったり、あるいは耳鼻科の先生のところに行ったりということが簡単にはできなくなるということが現実に起きてきます。
 それに対して、ある一定程度の治療については、総合臨床医といった機能を持ったかかりつけ医が登録をして、そこでまずやっておいてもらえば、あまり大きく診療報酬でお金を払わなくて済むだろうという考え方が語られてくるわけです。しかしこれをやってしまいますと、アクセスが確実に制限され、実際に総合臨床医をどう地域医療の中で育てていくかということが重要になってきます。他方でこのアクセスを制限しないかたちで、そういうかかりつけ医機能をどのように作っていくかというのも、わが国に与えられた大きな課題になります。

3.質
 3つ目の「質」ですが、これは特に急性期の医療の質の問題が今懸念されています。医療制度改革といっても、お金がかかりすぎるからなんとか医療費を抑制するような改革をしようというのが大体の骨子で、同じようにコスト管理という観点からの医療制度改革はイギリス、ドイツ、フランス等、欧州の先進国がみな一緒にやっています。そうするとどういう問題が出てきたかというと、コスト管理という観点でかなり医療費は抑制できるような医療制度に転換することができても、結果として急性期医療の質の低下とアクセスの低下が同時に起きてしまった。したがって欧州諸国の中では、今現在改めてどうやって急性期の医療の質を再び向上させるか、これが大きな政策上の課題として浮上してきています。
 日本も実は同じ状況に今、陥ろうとしています。なぜならば、そうした急性期医療というものを担う地域の中核的な病院の勤務医、これらの人たちが大変過重な労働条件の中でバーンアウトして、そこから離れていってしまうという傾向が現実に起きてきているからです。いわゆる医師不足の問題といわれる、あるいは診療科ごとの医師の偏在の問題ともいわれています。したがって、こうした質の問題をどうやって向上させるべく政策的に支えていくかという議論が必要になります。
 その場合2つの観点から急性期医療の質の確保を考えなければなりません。それはまさに世界の最先端の医療技術水準といったものをわが国も常に確保するという、そうしたナショナルセンターを通じての急性期医療等に関わる質の確保、水準の確保がまず第一です。その次に医療の均沾化という観点から、地域医療というレベルにおける急性期医療の質の確保をどうやっていくかという視点が2つ目。その両者が組み合わさって初めてわが国の急性期医療の質の確保ができると思います。そういった観点からの議論というものが、常に医療政策を策定するときには行われるということになります。その中で急性期ではありませんが重要になってくるのが、たとえば終末期医療や緩和ケアというものに関わる質の問題で、これらも大きな課題になっていきます。

4.効率
 最後の「効率」の部分は、これはただ単に医療費がかからなければいいということではありません。コスト・パフォーマンスというものが、最大限その効果を持ちうるような地域医療の連携機能というものを、患者という立場をきちっと捉えたかたちでどうやって作り上げていくかという問題が、この効率性の議論になります。
 たとえば来年の4月1日から実行されることになる後期高齢者医療制度、この中で医療費の抑制のために後期高齢者に関わる登録制度によるかかりつけ医機能というものを設けて、ここでまずは高齢者の医療が行われるようにしようという意見がかなり進んできているところです。そうなってくると、こういうかかりつけ医機能を担うお医者さんというのは、どんな臨床機能を持ったお医者さんが必要になるのかということになってきます。その点の議論というのはわが国ではバラバラです。3つも4つも似たような考えがあって、それらが林立しています。そういうバラバラな現状というものを踏まえた状況では、当面、本来のあるべきかかりつけ医機能やそれを担う総合臨床医のあるべき姿というのは、なかなか実現されていかないだろうと思います。それが決まっていかないうちに登録医制度みたいなものを導入することは、政策の順番としては間違ったことになるわけですから、効率の議論に係わるこうした問題については常に注意しながら見守っていく必要があるだろうと思います。


○人口構造の急激な変化
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 今、少子高齢化といわれています。2005年に生まれた赤ちゃんの数は106万人だったのですが、亡くなった方の数が108万人でした。そうすると2万人亡くなった方の数が多くなったものですから、以降、わが国は人口の減少時代に入ったといわれるようになりました。新聞でもたくさん報道されていますから、皆さん方もよくご存じだと思いますが、この人口減少時代というのは、別の面から見ると年々亡くなる方の数が増えるという時代です。2007年は団塊の世代の方々が還暦を迎えられたのですが、だいたいこの人たちが亡くなるのが90歳、93歳ぐらいです。そうすると2040年ぐらいがそうですが、2006年に亡くなった方の数が108万人、これが2040年になると最大値で年間166万3千人の方が亡くなる。亡くなる方が1.5倍増えてくるということは、すなわち亡くなる前の終末期医療のニーズがその分激増していくということを意味しています。先進国として、おおよそ国民の生命の尊厳というものを、人生の最後のところでもきちんと守り得るかというのは、まさに先進国として恥ずかしくない社会保障というサービスをやっているのかどうかを測るバロメータにもなり得ることです。わが国は下手をすると、そういう国民の生命の尊厳をきちんと守りきれないという状況に陥ることも、実はあり得るぐらい今厳しい状況に入ってきています。


○国民医療費、医療給付費、老人医療費の将来見通し
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 そういう中でやはりどうしても医療費というものが年々増えていくという状況が止められません。それは今回の保険料の引き上げや、患者負担の引き上げなどいろいろやった結果、それを受けたあとでもこの18年度の予算ベースで33兆円、平成27年で44兆円、平成37年で56兆円、このように確実に国民医療費が増えている状況にあります。
 その中で医療保険制度というものを何とかして持続可能なものにしていかなければいけない。しかし医療保険制度を持続可能なものにしようとするときに、特に医療費が増える高齢者の部分をどうしようかという話になってきます。今の医療保険で、たとえば組合健康保険や共済組合、あるいは政府管掌保険などいろいろありますが、こういったような保険というものを現状のままにしておくと、激増する高齢者の医療費というもののために、現状の各医療保険が崩壊してしまう。それでは大変だということで、改めて医療費が特にかかる高齢者の部分だけを取り上げて、ここには国の負担も充当するかたちで、まさに持続可能な医療保険制度に組み替えなければいけない。こういう考え方から、あえて高齢者を対象として独立した医療保険制度を作ろうという方針になりました。その結果、2008年の4月1日から75歳以上の方々を対象とした後期高齢者医療制度というものが発足することになったわけです。


○後期高齢者医療制度の導入
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 後期高齢者医療保険制度というものの財源の内訳を見ますと、患者の負担が1割、公費負担が5割、後期高齢者支援金という組合健保や政管健保や国民健康保険という、いわゆる現役世代を含む保険料の中からの支援金が4割、そして75歳以上のお年寄り1人ひとりにこれから保険料を払っていただくことになりました。前は保険料を払っていたのは世帯主だけでしたが、これからはおばあちゃんも一緒になって払ってくださいという話に、これからなっていくということでその保険料負担が1割になっています。このように2008年度から決められました。
 公費負担の内訳を見ると、5割となっていますが、実際に厚生労働省が一般会計で国の負担としてそれを負担する部分というのは5分の3でしかありません。そして残りの5分の1は都道府県、すなわち宮崎県、さらに残りの5分の1はこの延岡市がそれぞれ負担しなければいけないという構図になっています。
 そうしますと、最初に予定されている国の負担分は3.1兆円ですが、高齢者の数はこれから確実に増えていきますから、その3.1兆円分というのは4.5兆、6.9兆と確実に増えていきます。その増えていく分、宮崎県も延岡市も確実にその負担が増えていくことになります。これは実は厳しいことです。たとえば高齢化率の高いような都道府県で、実際に高齢者の数が多ければ多いほど支出が増えてきます。そこでは確実にその負担も増えていきます。しかも高齢者が増えていくような地域経済のところは経済が活性化しませんから、税収が増える見通しがありません。そうすると収入としての税収の見通しはないけれども、高齢者が増えて後期高齢者医療制度の各市町村、都道府県の負担は確実に増えていき、持続可能な制度にはなりません。したがってどうやってその財源を確保するかという問題が解決されないと、持続可能な制度は持ち得ません。
 おおよそ、その財源として構成されるのが消費税です。この消費税というものの中で、その一定部分を地方に配分し、これらの財源に充てるという考え方で消費税を増税するという必然性が、実はこの制度の中には最初から盛り込まれています。ただし今、選挙を控えて与野党ともに増税などやれば選挙に負けるということで、どうしても消費税議論はできない。消費税議論はできないのですが、制度は2008年の4月1日からスタートしてしまいます。この矛盾をどうやって解決するのかで、実は大変なジレンマを今日本という国は抱えていることになります。


○各保険制度と生活保護の人数の推移
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 こういう中で、何としてでもわが国は皆保険制度というものを守りたいと思っています。これは国民1人ひとりが保険証を持って、皆保険制度の被保険者という立場になれます。よほどのことがなければ生活保護世帯にはならないということであったわけです。ところが問題は非常に深刻になっています。
 グラフを見ていただくと、一番下の組合健康保険で、これは大企業の会社員の人たちが入っているところです。あるいは共済組合で、私も東海大学の教授をやっていますので私学共済という共済組合に入っています。それから政管健保でこれから名称が代わりますが、この政管健保というのはいわゆる中小企業や町の商店街などで、こういうものを被用者保険と呼びますが、この被用者保険という保険構造を見たときに、バブル崩壊したあとのM&Aで企業が合併され、リストラで社員を減らすということを続けていた結果として何が起きたかと言うと、組合保険の被保険者がどんどん減っていきました。町の中小企業やあるいは商店街も元気がなくなってきたので、そこで働いている人の数も減ってきたために、この政管健保の被保険者数もどんどん減っていきました。ではその分、どこで皆保険制度の中でその被保険者としての立場が維持されているかというと、残りは地域保険である国民健康保険ということになります。ですから国民健康保険だけこの被保険者数が激増するというような状況がこの10年間で起きてきています。
 また同時に、残念なことに生活保護世帯が急増するということになります。今、生活保護世帯の半分以上の給付は医療給付になっています。したがってこれからわが国が皆保険制度をどうするかという議論をするときに、生活保護世帯の医療給付もその視野に入れて、新しい制度設計をやらなければならないぐらいの時代状況に、残念ながら日本という国は入ってきたということになります。
 これを数字で見るとはっきりします。国民健康保険という地域保険だけが平成7年に4324万人だったのが、5157万人と833万人も伸びています。政管健保の場合には230万人減って、組合健保が210万人減って、生活保護世帯が88万ぐらいだったのが一気に54万人も増えてしまい142万人になってしまったというのがこの数値です。


○国民健康保険(市町村)・政府管掌健康保険・組合管掌健康保険の比較
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 このような状況になると、それぞれの保険の中で医療費の支出というものにも大きな差異が出てくるようになります。なぜかというと、国民健康保険はどちらかというとお歳を召した方がどうしてもそこに入ってきます。平均年齢を見てください。国民健康保険の平均年齢は53.7歳、政管健保が37.2歳、組合健保が34.2歳で若いです。そうすると若ければ若いほど医療機関のお世話にはならないということで、一人当たりの診療費を見ましても市町村国保が16.7万、政管健保が11.5万、組合健保が10.1万、それだけの医療費の支出の差、負担の差にもなって出てくるようになります。
 こういう状況を見ていますと、まさに皆保険制度というものの中で、この国民健康保険が皆保険制度を守る最後の拠り所になってきているという状況が見えてきます。ところがその国民健康保険の内容というものを見ていったときに、実はこれも惨憺たる状況だということがわかります。


○国民健康保険料(税)の収納率(平成15年度)
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 たとえばひとつ心配しているのは、国民健康保険の保険料の収納率があります。年金の未納者という問題が散々議論され、年金未納率が非常に高いということがいわれています。ところが医療保険の保険料も、実は保険料の未納率が高くなってきているという実態があります。年齢を見てみますと、お歳を召した方々は確実に保険料を払います。しかし35歳未満になってくると78%、こういう状況になってきています。


○国保全世帯の所得階級別世帯数の分布
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 この問題は実は所得の階層化にも影響しています。すなわち組合健保や政管健保にいる人たちはある程度保障されています。しかしそこで耐えられなくなった人たちが国民健康保険に入る。その国民健康保険に入っている人たちというのは、組合健保や政管健保に比較して確実に所得の低い人たちが占めているという構図になっていきます。
 その結果、この国民健康保険の世帯のうちの5割が年収として200万円以下という所得階層になってきたということがいえます。こういうものの中には、よくマスコミで言われるようなワーキングプアと呼ばれる人たちもこの中にたくさん含まれています。そうするとこういう人たちは、実際に保険料を払いたいと思っても、なかなか払えないという厳しい状況にも置かれるということになります。
 しかし問題はそういう中に、特に都市部の若い人たちですが、保険料が払えるのに払いたくないといって払わない人たちの数も、ものすごい勢いて増えてきているという心配もあります。


○国保財政の現状(平成18年度予算ベース)
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 国保の財政構造を見てください。保険料部分は合わせれば4兆円ちょっとあります。医療給付費の総額が7兆5千億ですから、5割以上6割近くは公費負担が入っていかないと、この国民健康保険という保険は維持できなくなってしまっています。これが保険といえるのか、というぐらいの財政構造です。そういう状況に今、国民健康保険があって、その中で保険料を払うということがますます重要になってきていますが、しかし払えない人たちが出てきたということです。

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 この中で先ほども申し上げたように、国民健康保険の滞納世帯数がやはりものすごい勢いで増えています。平成5年には250万人で14.6%でした。それが平成17年になりますと470万世帯で18.3%、なんと2割ぐらいの世帯の方々がこの保険料の滞納世帯になってきています。この保険料を滞納しますと、窓口で「あなたは本当に特別な事情があって保険料が払えないのかどうか」という審査指導が行われます。そのために短期の被保険者証というものを交付することになっています。これはだいたい3か月ぐらいです。ではなぜ3か月にするかというと、再発行してもらうために、3か月ごとに窓口に行かなければならない。そうすることで3か月ごとにその人の生活状態の審査ができるわけです。そのためにわざと3か月にしてあります。そうしなければなかなか窓口に来てくれません。こうやって3か月でやるわけですが、この3か月の保険証を交付する人たちも平成5年は8万4千人でしたが、平成17年に100万人を超えてしまっています。再度1年間、短期の被保険者証を交付して、「あなたは世帯主の方が病気になってしまっていますね、あるいは大怪我をしました、あるいは働いていた会社が倒産してしまった、これは保険料を払うのは難しいですね」といって減免対象になります。しかし他方で、「あなたはどう見ても所得からみて確実に払えます、ぜひ払ってください」といっても、ひたすらに拒み続ける人たちは短期の被保険者証を没収されます。そして、そういう人たちには資格証明書が交付されます。この資格証明書というものが交付されますと、その人たちは窓口で10割負担になります。ただ負担したあとに領収証を持っていきますと、それが7割還付されますから、最終的には3割負担になります。
 このような資格証明書というものを交付されてしまう、その数は平成5年には45,819人でしたが、平成17年には319,326人で、この数がまた最近確実に増えてきています。厚生労働省で調査してもらいましたら、ほとんどが都市部の若者たちです。こういう人たちの考え方というのはどういう考え方かわかりますか? これは実は、国民健康保険の保険料の滞納の場合に免責というものがあって、時効になってしまうのが2年間です。そうすると2年間で時効になれば、たとえば若い人たちであれば元気で病気にはならないし同時に怪我もしない。支払っても医者にかからない。したがって医者にかからないのに保険料なんて払ったら損をする、そういう考え方です。
 こういう人たちが増えてきていますが、それは基本的に間違った考え方です。皆保険制度というのは、今は元気でも保険料を払う。その保険料で今病気になったり怪我をしている人たちのための医療費を払ってあげる。そのかわり、自分が将来病気になったり怪我をしたときには他の人が払った保険料で自分の医療費を払う。そういう同じ日本の社会に住んでいる者としての連帯意識の中で、助け合いの精神の中でこの保険料というものを払い皆保険制度が成り立つわけです。そういう国民としての責務、そういったような気持ちを持たなければ、保険料を払ったら損をしてしまうという考え方に陥ることがあり得るし、そういう人たちの数が残念ながら最近増えてしまっていますが、このへんはもう医療の議論というよりも、教育の議論になっていくだろうと私は思います。


○国づくりの単位と役割――個人・家族・地域・職域・国家の係わり
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 そこで日本の国づくりについて皆さん方にお話をしたいと思います。これがまさに日本社会医療学会の関係するところです。私は2007年8月まで厚生労働副大臣というものをやっておりました。担当は労働担当で、労働担当というのはパート労働者や終身雇用制をどうするのかとか、あるいは有期雇用者の待遇をどうするのかということをずいぶんやってきました。働く場所というものを中心として職域社会というものがあります。それと自分が住んでいるところを中心とした地域社会があります。そして自分の属する家族がいる。それを延々と取り巻くかたちで日本という国があり、日本という社会があり、皆さん方はその中の一員ですが、そのことを図で示しています。
 国家というものがあって、たとえば外国から攻めてきたら自分の国を守るのは国民の責任であるというのはひとつわかりやすい説明でもありますが、しかしながら、同時にこういう大上段に振りかざした安全保障の議論ということだけではなくて、身近な保健医療の問題についても、国家の国民の間には大事な関係があって、皆保険制度というのはまさに国と国民の約束の中で初めて機能するものです。自分もその国の一員であるということの中で、その責務としての保険料の支払いがあり、その代わり国は国民の健康を維持するための責任があり、その給付を提供する組織を運営するという構図があるわけです。こうした国の社会というものがまず大きくある。そしてこの職域社会というのは、実は戦後、日本という国の中では大変元気でした。戦後の復興から高度経済成長、そのくらいの時期までよかったわけです。非常に活力があって終身雇用制が安定していて、産業保険というものがあって産業医という制度もできて、そこで事業主責任の検診事業なども行われ、福利厚生サービスも行われ、そしてその結果として働く社会を通じて国民1人ひとりが人生の安心感というものを持ち得る社会が戦後一定期間続きました。その限りにおいては日本という社会はかなり安心した社会であり、そして国民1人ひとりはその時間の経過とともに、日本の社会がよりよくなっていくと思いながら、その人生を過ごすことができたわけです。
 ところがバブルがはじけて、そしてM&Aが始まって終身雇用制が壊れ、いまや3人に1人は非正規社員という時代状況になりましたから、もはやそのような職域社会は終身雇用制に裏づけられたかたちでの、国民1人ひとりのさまざまな安心感を提供する社会的機能を失い始めました。そしてこのような中で、健康医療にも関わる職域社会が果たしてきた産業保険その他の役割というものを、今後どれだけ維持していくことができるか、特に非正規社員といったような人たちの健康管理、そういったようなものを事業主がどこまで責任を持ってやることができるのか、こういった問題がこれからも確実に大きな議論になっていきます。年金についても同じように、パート労働者であったとしても厚生年金を適用するような権利を与えるには、どういう条件でこれを与えたらよいのかという議論が現実に行われるようになってきました。このようなかたちで職域社会というものが、確実に今変質してきています。その中でこうした健康づくり、医療というものをこの職域社会の中でどのように扱うか、これからまさに議論をしていかなければならないことです。社会の変化と医療政策というものがそういう面で一体化する。地域社会を見てみますと、この地域社会というもので都市部などの場合には、マンションで隣に誰が住んでいるのかも知らない、本来の地域社会の助け合いの機能みたいなものがどんどんなくなってきています。このように地域社会の中での連帯意識みたいなものが、わが国では残念ながら希薄化する傾向にあります。
 先ほど申し上げたように、地域医療についてはそれを効率化するという観点もあって、地域医療の連携というものがどんどん今進められようとしています。しかしさまざまな地域医療連携がこれから進められていく中で、地域社会の中にある連携機能といったようなものが希薄化していく過程で、どこまで医療という分野だけその連携機能を確保し充実していくことができるのか、これはまさに社会と医療との相関関係になります。
 たとえば在宅医療をこれから充実していこうという政策が今進められています。しかし実際には核家族化が進んで、夫婦共稼ぎも広がっています。そしてまた同時に、老老介護あるいは独居老人が増えてきています。そういう家族形態の中で在宅支援ということを国が地域医療の中で一生懸命やろうとしても、その家庭の中できちんと受け止めるだけの受け皿の機能が、それぞれの家庭の中に一体どれだけ残っているのだろうか。そういうことを考えた場合に、在宅医療支援というものも、その受け皿がどうなっているかをよくよく考えながらその機能というものの充実を図らなければならないということは、まさに一目瞭然のことです。それはまた社会と医療というものの相関関係の中で議論されなければなりませんから、画一的に在宅だ、在宅だといっても決して正しい政策にはならないということが、社会的な観点からも見えてきます。
 この中で家族というものも核家族化しそれぞれ変わってきて、その中にいる個人というものもその自由と責任というものをきちんと共存させていくような個人が本当に育ってくれるか、実は疑問な部分も出てきています。日本の国のかたちを考えていったときに、職域社会も昔ほどの安心材料がなくなった、地域社会もその連帯意識が希薄化してきた、家族機能も家族の子育てや教育機能が落ちてきた、家族の中の一員である個人個人も国と個人との関係を意識せずに、また社会の一員としての責務もあまり感じないような人たちが増えてきたということになりますと、それはどう見ても国がうまく運営されていくわけがありません。そこに住んでいる人たちがまた同時に、自分の住んでいる社会に安心感を持ち得なくなるのは当たり前のことです。

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 したがってこのような観点から、保健・医療という分野から、それぞれのこの社会の範囲の機能というものをもう1回きちんと作り直して、逆にそこから日本の国のかたちとしてのそれぞれの社会というものの役割をもう一度きちんと再構築していく。それによって、日本人にまた改めて自分の属する社会がよりよい安心した社会になっていくという意識を持ってもらうように、まさに政治、経済、社会の側面を展開させていく大事な時期に、今、日本は入っていくということになると思います。
 しかし本当にこれは“言うは易く行いは難し”で、私はこの労働担当と同時に少子化担当というものもやりました。この少子化担当をやって、子育て支援をやりましたが、これにはびっくりしました。極端な例は児童虐待で、児童虐待の件数がこの5年間ですさまじい勢いで増えています。この児童虐待を受けて死んでしまう子どもたちの全体の6割以上が0歳児です。誰が殺しているのかというのはいえないのですが、だいたいわかってしまいますよね。こういう状況がなぜ起きているのか。たとえば30歳前後の若いお母さんたちで、こういう人たちの旦那さんは週に70時間ぐらい働いていて家にいない。母親は小さな乳飲み子を抱えて家で孤立している。昔であれば同居しているおばあちゃんから、子どもがぐずったときにどうしたらいいのか教えてもらえました。あるいは地域社会がきちんと機能していたときには、隣近所の世話焼きおばさんがちょこっとやってきて教えてくれる。ところがそういうことがなくなってしまって、実際にどうやってぐずった子どもをあやして元気にさせたらいいのか、あるいはこの子はひょっとしてものすごく深刻な病気の初期症状かもしれないなどと、いろいろなことを思うわけです。そういう中でノイローゼになってしまうようなお母さん方も出てきています。
 そのようなことが児童虐待の原因にもなっていますが、こういうことが起きては困るということで、厚生労働省が今全国6千箇所に地域子育て支援センターというものを作ろうとしているところです。それから集いの広場というものを作って、そこで特に深刻な事態にあるお母さんたちを救うため、NGOのお母さんたちと連携してさまざまな支援活動をやるようになっています。そのために450億から500億ぐらいのお金を毎年つぎ込まなくてはならなくなっていますが、10年前にはこんな予算はいらなかったわけです。ですが日本の家族の機能というものが低下したために、国、社会が支援しないと維持できなくなってしまったということです。凄まじき状況です。そういうことが現実に今わが国で起きています。
 そういう中で、もう本当に悲惨なことが起きています。小さな赤ちゃんが大やけどをして病院に連れられてきます。そのやけどをした原因を作ったのはどう見てもお母さんだというケースがあります。そのお母さんは明らかに、相当精神的に問題がある状況に陥っているわけです。そういうお母さんたちが放置されてしまっているケースが社会の中にたくさんありますが、それをどうやって事前に阻止して支援をし孤立しないようにさせるかが、今、大問題になっています。そのようなことを実際にやるために、世話焼きおばさんの代表者みたいな人たちがNGOを組んで、うらぶれたアパートの一室を借りて、そういう深刻な問題を抱えたお母さんたちを助ける活動をしていました。それを国が改めてお金を出して支援してということをやっています。
 ところが面白いことに、東京の郊外に三鷹という市があるのですが、その三鷹市の集いの広場というのは、コンクリートで作った実にきれいな建物でスタッフも揃っています。そこへうらぶれたアパートから引っ越してきて、NGOの指導者のお母さんたちが一生懸命その活動をやっていますが、「こんな素晴らしい施設ができてよかったですね、スタッフも充実して、これでこの地域の孤立したお母さんたちに、相当また支援できるようになりましたね」という話をしたら、深刻な顔をして「いや、違うんです。むしろうらぶれたアパートのときのほうが、本当に困ったお母さんたちが来てくれました。こういうきれいな建物にしてスタッフも揃えて、さぁいらっしゃいとやったら、そういうお母さんたちが逆に来なくなってしまった」というわけです。なんとなくわかるような気がします。したがってこういう課題を解決するときには、方法ということも考えながら、もっときめ細かい支援体制を社会で作らなければいけない、お金をかけてよいものを作ればいいというわけではないということも、行ってみてよくわかりました。
 そういう問題が今起きていて、家族というものについても改めてそのあり方、そして必要な支援体制を組まなければ、社会が持たなくなってしまっているという実情がわが国に出てきているということで、そういうものはぜひご理解をいただけたらと思います。
 そしてこういう中で、まさにいろいろな観点で健康や医療に携わる人たちの役割は非常に大きく広がってきているということを申し上げておきたいと思います。そして「社会医療」という考え方、今、時代はまさにそれを求めています。こういう社会というものが今大きく変化をしてきているときに、逆に医療という観点から社会を立て直すという問題意識も必要になってきます。そういう観点から、改めて皆さん方にも健康や医療に携わることをぜひやっていただきたいというように思います。
 そのように議論してみますと、美しい国などいろいろな議論がありましたが、本当の意味での国づくり、あるいは国の形づくりというのは大上段にかざした抽象的な議論ではなくて、普段身近な自分の生活に密着をしたところで、こうした本当の意味での国の形づくりというものがあるのではないか、そこを通じて国民が安心できる社会づくりに自ら参加する意識というものが、今ほど求められているときはないというように私には思えます。
 ご清聴ありがとうございました。

(「社会医療研究第6巻」2008年3月発行より転載)
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