序 文:胃癌X線読影法

 確か6年前にも序文を書かせて頂いた記憶がある。そのときは『症例からみた胃X線読影法』というタイトルであったが,タイトルと内容に少し解離があった気がする。そのことに気付いたかどうかを話し合ったことはないが,今回はその点を彼なりの方法で工夫し,克服している。そのきっかけに“馬場塾”との出会いがあったと記載されているが,少しでもお役に立てたことは有り難い。文中には彼の真直ぐで真面目な気質を随所に伺うことができる。

 胃癌のX線診断に求められることは,まず撮影では肉眼所見が忠実に表現されているかどうか,次に読影では診断目的に応じて,必要な所見が的確に読み取られているかどうかである。読影の目的には,診断に必要な所見を拾い上げるだけでなく,画像の精度を評価し,手技の向上を計ることにもある。X線診断をより正確に行うには,我が国の胃X線診断学を築いた多くの諸先輩が行ってきた独自の研究手法を踏襲すべきであろう。それは,X線所見と切除標本の肉眼所見および組織所見との比較対比を繰り返し行う作業である。もちろん,当時はそれぞれの分野の専門家が集まって行われている。この基本作業を繰り返すことによって,手技が洗練され,読影が強化された。しかし,現在では比較検討する資料が揃わず,またその機会も極端に少なくなったことは残念である。

 ところで,小生が癌研究会病理部で消化管病理診断学を指導して頂いた中村恭一先生からお叱りを受けることは,胃癌個々の症例について詳細に検討しても,それはそれだけのことであって,治療や転移・再発などに広く役立つ診断を考えなくてはならない,ということである。どうすればこの問題に答えることができるか,その一つは中村恭一先生の癌組織発生を基盤に考え出された胃癌組織分類法(分化型癌と未分化型癌に2分類する方法)を基本に,胃癌の肉眼ならびにX線所見を整理し,分析することである。これによってX線的な良・悪性判読の指標を明確にすることができるだけでなく,広く転移形式まで関連した診断を行うことができることになる。

 ひるがえって,本音のところは胃癌の肉眼像は多種多様で症例によっては微妙な所見の違いがあるので,個々の所見を詳細に分析し,その差を読み取り,診断することがやはり楽しいのである。質的診断の指標を明確にするといってもなかなか難しい面があり,また深達度診断でも未解決の分野がたくさん残されているので,楽しみが多いことも事実である。本書には,これらの側面を垣間見ることができ,自身のレベルアップに努力されていることが伺われる。

 近年,X線装置のデジタル化に伴い,デジタル画像を読影する機会が随分多くなった。憶測に過ぎないが,今回,彼が執筆を決心したのは,おそらく次のような経緯があったからであろう。すなわち,デジタル撮影装置ではリアルタイムで容易にネガ像をポジ像へ変換できることが長所であるが,これまで経験してきたフィルム・スクリーン撮影装置のアナログ写真(ネガ像)にはかなわないと考えたのであろう。ところが,ネガ像とポジ像のX線所見について肉眼像を対比しているうちに,ネガ像では黒くつぶれた所見がポジ像では表れていることに気付いた。これを読影に生かすことはできないかと思ったことが起点となっているようである。

 この点について,彼に質問したことがある。それは次のようなことであったと思う。ポジ像の優れた面をもう少しはっきりしてみてはどうだろうかということである。すなわち,1)経験的にポジ像は切除標本に近い像であり,切除標本の肉眼所見と対比しやすい。2)ポジ像はネガ像に比べると濃度域が広く,高濃度域のガンマーカーブは緩やかであるので,ネガ像で濃度が高くつぶれた部でも,ポジ像ではわずかな濃度差として観察される。おそらく,両方が関与しているのであろう。3)これからはポジ像に慣れる人が増えることが予想されるので,これにも対応する必要があることなどである。このようなことが背景にあったのであろう。新たな観点から早期胃癌103例を検討している。

 中村信美君との付き合いは25年ほどである。私のところ(当時は癌研究会附属病院内科に在籍)へ上京した頃を思えば,当時彼が勤務していた施設では指導医が既におられたようである。初対面はある医師に依頼され,彼の施設で精密検査の実技を行ったときである。帰京する際,彼から見学の申し出があったが,指導医に申し訳ないのでお断りした経緯がある。

 ところが帰京する際,お断りしたにもかかわらず新幹線のホームで立ったまま,いつまでも帰ろうとはしない。これには参った。普通は諦める人が多いが,よほどの思い込みというか,何かがそうさせたのであろう。そこで1日でも一緒に仕事をすれば,その辛さから二度と上京しないだろうと思い,一度だけそうしたことがあった。ところが,どうした訳か,それが今でも続いているのである。

 彼は相変わらず謙虚で,黙々と仕事をしている。寡黙で身体も決して頑丈ではない。日常の業務をこなし,コツコツと資料を集め,検討を繰り返す。どこにそのエネルギーの源があるか分からないが,要は胃X線検査が好きなのであろう。前回の序文に“本書は彼にとって一つの道標に過ぎない”と書いたが,今回の書も一つの道標に過ぎない。終わりのない旅であることを知り,自分で道標を立てているのだから,傍から見ていると楽しそうにも見える。次の道標を知りたいものである(2009年6月22日,馬場塾の研究室にて)。

早期胃癌検診協会中央診療所 所長
                          馬場 保昌