私の読影の仕方について:放射線科医のものの見方・考え方

 読影の仕方は、きっと千差万別であろう。恐らく各個人の性格があらわれるのであろう。

 私は血液型がO型なので(?)、とても大雑把な傾向がある。そのため、読影も大雑把なところから入るが、多くの皆さんと違っている点は、まず、画像を見ながら「この人はどんな人なんだろう?」って思うところだ。この患者さんは太っているか痩せているか、撮影の時にまっすぐ正面を向けて撮られているか、息を十分に吸って撮られているか、脊椎が弯曲していないか、腹部ガス像は多いのか少ないのか、そのガス像はどんな分布をしているのか、大腸の便がどの辺に多くあるのか、などで患者さんの状態を把握している。これは慣れてくると、患者さんの症状がどの程度なのかを客観的に判断する材料になる。患者さんの症状の訴えの程度は人によってかなり異なっている。同じ疾患で同じ痛みでも我慢強い人は「ちょっと痛いんです」というであろうし、生来健康な人は「こんな痛みは今まで味わったことがないすごい痛みなんです」というかも知れない。そうした痛みなどの感覚を画像からある程度把握できることが多い。たとえば右側腹部が非常に痛いときには人間は痛い側に身体が曲がって伸びない。だから退行性変化がさほど強くない腰椎の人が右側に曲がって腹部単純写真を撮られていたら非常に右側腹部が痛いのだろうと想像し、そちら側の痛みを起こす可能性がある所見は全て拾い上げるようにする。心筋硬塞などの酷い胸痛があるときは新たな唾が飲み込めなくなり、時間を追って腹部のガス像が胃側から順次消失していくので、腹部のガス像を見てどれ位の時間酷い痛みが続いているのかを想像できる。これは絶対的な所見ではないが、患者さんの病態を客観的に把握するのに役立つ。

 もう一つ多くの皆さんと違っている点は、「自分なりの読影が一通り終わるまでは決して依頼目的を見ない」ことだ。そして「画像から読み取れた所見から患者さんの症状を推測」し、それを実際の症状と比較し、完全に一致すれば読影は終了するが、一致しない場合は、余分に読影してしまった所見についてはもう一度その所見が有意な所見かどうかを確認する。また、何ら所見を拾っていなかった患者さんの症状に対しては、症状を起こしうる疾患を推定し、その疾患を示唆する所見がないか確認するようにしている。私の大雑把な性格から依頼目的を見ないまま読影を終了してしまうこともあって、まれに臨床医から「先生、これについてはどうなんですか?」と聞かれることがあるが、幸い今まで大きな問題になっていない。この読影方法は、最初は非常に時間を要するが、数年続けると見落としの少ない読影になってくると同時に、いつも同じ所見を見にいくので自然と所見を拾う速度も速くなってくる。そして、皆さんが知っているいろいろな所見についても、どういう病態でその所見がでるのかを理解するようにいつも努力している。それにより所見の意義を正確に捉えることができるので、いろいろな状況で応用が効くようになるからだ。たとえば、Kerley's B line だが、これは蛋白をほとんど含まない水が肺に過剰なとき、過剰の水が間質を自由に移動してできる所見なので、肺に浸潤影があるのにKerley's B line が見られなければ、その浸潤影の成分は蛋白濃度が高い炎症や出血だと想像する。いろいろな所見を上覚えせずに本質を知ることで、より多くの応用が利くようになるので、面倒くさがらずにいろいろな所見の本質を知る努力をしよう。この本はできる限り、私の知る限りの所見の意義を述べているので、その本質を自分のものにして頂きたい。