はじめに:核エネルギーと地震

 本書は、一科学者による日本の核エネルギー技術の安全性、特に耐震性能に関する調査の報告である。その中心は、2007年7月16日の中越沖地震の影響を受けた柏崎刈羽原子力発電所の技術と関連する危機管理の社会事象の検証である。筆者を調査に駆り立てた原動力は、中越沖地震で顕著となった核技術の高度な安全機能と危機管理の弱点との矛盾の衝撃にあった。すなわち、日本の核エネルギー技術心臓部の高度な安全性能と、核技術に対する不安定な社会心理を背景とした危機管理の弱点である。

 新潟県中越沖地震は、日本の軽水炉などの核エネルギー施設の耐震性能の実力を知る契機となった。地震の規模はマグニチュード6.8で、震源から23キロメートル離れた東京電力の柏崎刈羽原子力発電所に与えた震度6強は、核エネルギー史上最大である。しかも震度6強は、日本の核エネルギー施設が想定する最大級の地震動なので、注目すべき事象となった。

 筆者は、地震当日より、当該原子力発電所を線源とする放射線環境影響に注目したが、周辺への放射線リスクはまったくないレベルFであった。原子炉が自動停止し、安全が保たれたのだった。さっそく、主宰するインターネット上のサイトで、線量レベルを掲示した。しかし、テレビなどの報道との連携はできず、報道からの不安を煽る一方的な情報に、日本社会は強度に揺さぶられてしまった。

 以後、当該原子力発電所の地震影響を調査し、その原子炉を中心とした耐震性能の高さに、筆者は大いに驚かされた。東京電力がそのつど公開する施設の影響調査報告および日本原子力学会が2007年9月に開催した公開報告会を通じて、原子炉建屋のみならず、炉心本体も無傷に近い状態に保たれていたことが、次第に明らかにされた。これを契機に、日本の核エネルギー技術の耐震性能を、高速増殖原型炉・もんじゅも含めて、核燃料サイクル全体で調査を開始した。柏崎刈羽発電所原子炉施設の地震波記録を入手し分析したところ、S波による最大加速度を受ける数秒前にP波を感知して制御棒が炉心へ全挿入されて、核反応が急停止していたことが判明した。これらの調査が、本書執筆の原点となった。

 世界で最も進んだ耐震技術を開発してきたわが国の核エネルギー技術の科学情報の整理、中越沖地震で与えた柏崎刈羽原子力発電所への影響の真実と原子炉の高度な耐震機能の検証、そして対照的に弱点となっている政府機関等の危機管理の基本力の課題を、総合的に実証的に検証したのが、本書である。

 わが国の核エネルギー技術の耐震技術調査については、日本原子力研究開発機構からは、敦賀本部を中心に特別に協力いただいた。東京電力株式会社および日本原燃株式会社からは、データ、図面、写真について、公開資料等の提供を受けた。日本列島および全地球的地震分布図については、地震調査研究推進本部から公開資料を引用させていただいた。原子力安全委員会、原子力安全・保安院および国際原子力機関等の公的機関の取り組みについては、それぞれの機関の公開資料を、当該機関の断りなしに引用した。新聞情報は、日本経済新聞社のデータベースを利用した。

 一科学者による検証・考察なので限界もある。しかし、核エネルギー業界内の公的機関に設置された委員会では作り出せない考察が本書にはある。外野から見た中越沖地震の検証と、危機管理の課題に対する提案である。わが国にとって重要な核エネルギー創生現場の危機管理に関わる問題提起であるので、是非とも、産官学の内野および報道機関のみなさんに、お読みいただきたい。また、日本の核技術の進路に関心ある人たちにも、本書を一読いただきたい。今後も筆者は多くの人たちと連携して、日本の技術に自信と誇りを持って、弱点の克服にぶつかりたいと思う。


2008年4月
高田 純