はじめに:核と放射線の物理

 核と放射線は現代医療における診断と治療において重要な役割を担っている。その学問的な基礎は物理学にある。しかし、わが国の大学医学部生に対し実施されている物理学教育と放射線医学などの臨床教育内容との間隙は大きい。一部の医学部を除き、多くの大学では、放射線医学物理や放射線防護学の教育が不十分な状況にある。さらに、適切な教科書は存在しない。本書は、こうした背景のもとに、放射線医学の基礎科学としての物理学教育のために執筆された。

 本書の主題は医学部生の教育のために用意した核と放射線の物理学である。内容は、筆者が所属する札幌医科大学の医学部医学科で講義する物理学通年3単位の一部の内容となっている。講義の全体は、医学物理序論、相対論、量子論、核と放射線、医療における物理学、放射線防護学から成る。これに物理学実験1単位のなかに、放射線防護学について2回の実習がある。講義録を基礎にして、核医学や放射線医学に関わる物理に直接結びつくデータや物理現象の解説を加えた。

 第1章では、医学物理の序論として、放射線を利用した診断・治療の概要と、それを支える現代物理学研究の歴史を学ぶ。第2章では、現代物理学の基礎としての相対論と量子論を、エレクトロンボルト単位で記述するエネルギーを中心に学ぶ。このエネルギーの記述は、核および放射線の物理を表現する土台となる。第3章から第5章では、核物理の基礎について、核医学で利用する核種を例示しながら学習する。陽電子放射断層診断で利用される短寿命核種の核データや、脳腫瘍中性子捕捉療法における核反応をとりあげた。最終章の第6章は、放射線治療の理解のために重要な、放射線と物質との相互作用を学ぶ。光子および重荷電粒子と原子・分子との衝突の物理・電離作用の理解が中心となる。特に、人体影響の理解のための水分子や軟組織との相互作用を重点的に考察する。この章の最後には、こうした衝突の物理理解のうえに、人体組織へのエネルギー付与である吸収線量を学ぶ。これが放射線治療や防護の科学理解の出発点となる。付録には、本書に必要な近似計算法や有効数字等の物理計算の基本や物理定数表をまとめた。活用されたい。

 本書全体にわたり、医学に登場する核と放射線を中心に、例題や演習問題を取り上げている。すなわち、臨床や基礎医学の課題を考える基礎形成を意識した。医学部生の教科書ではあるが、放射線防護・医学物理の専門家を目指す関連分野の学生、医科学者、あるいは現職の医師や診療放射線技師にも有用であればとの思いである。


2006年3月
高田 純